霊山歴史館には、シリコン製の等身大龍馬像が立っています。
腕に生えた毛や浮き出る血管が実にリアル!
そこで龍馬ファッションをチェック!
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紋付き絹の黒羽二重(京都国立博物館蔵) |
「組み合せ角に桔梗」の家紋が付いたお馴染みの紋服。
龍馬が暗殺された近江屋事件の際に着用していたとされるもの。
複製は霊山歴史館で観る事ができます。
坂本家は同じく桔梗紋の戦国武将・明智光秀の子孫との伝説がありますが、確証はありません。
「龍馬家紋アイロンプリント」(500円)「酒場 龍馬」にて販売中。
・龍馬の身長は172センチ?169センチ?
この紋服の丈が145センチである事から、龍馬の身長は172センチ、体重は80キロで、
当時としては大柄だったのではと想定されています。
また、当時の和服の襟幅が6~6.5センチだった事から龍馬が写る全身写真で
身長を割り出し、156~169センチとする説も。他にも様々な数値がでていますが、
江戸時代の男性の平均身長よりも高めだったのでしょうか。
・「龍馬伝」の坂本龍馬はデニムを履いている!
大河ドラマ「龍馬伝」のポスターに写っている福山雅治さんの坂本龍馬。
履いている袴はなんと、デニム地なのだそうです。
坂本龍馬が現代人と近い存在に感じられるよう、
最もリアルに見える素材を色々と試した結果なのだとか。
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ピストル |
寺田屋で襲撃された龍馬が撃ったとされる「スミス&ウエッソン型32口径」と、
近江屋で命を落とした際に所持していたという
「スミス&ウエッソン1/2型ファースト・イッシュー」。
当時としては最先端の護身用武器かつ、ちょっとハードテイストで先進的な
アクセサリーでもあったのではないでしょうか。
前者は長州藩士・高杉晋作が上海渡航の際に購入し、龍馬に贈られたものだとか。
また、龍馬がお龍と共に薩摩を旅した際にもピストルで猟を楽しんでいます。
実物は残念ながら現存しませんが、複製が霊山歴史館にあります。
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ブーツ |
坂本龍馬といえば袴にブーツ姿を連想しますね。
なぜ龍馬はブーツを履いていたのでしょうか?龍馬が新しいもの好きだったから!?
学術的な検証はされていないようですが、歴史ファンの中では、
長州沖を通る外国船に攻撃をしていた長州藩の高杉晋作から
外国船の水夫のブーツをもらった、長崎のグラバー邸近くにあった靴屋で購入した、
上士・下士といった身分を選ばない履き物だったからでは、といった説が挙がっています。
脱藩してから亡くなるまでの5年間に、日本国内を自身の足と船で駆け回った
龍馬の移動距離は、地球半周分にも相当するといいます。
そんな龍馬にとって、丈夫なブーツが重宝されたのかもしれませんね。
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ヘアスタイル |
龍馬のヘアスタイルは基本的に、他の武士とは違って頭の中心部を剃らず、
髪全部を後ろに束ねたまま。「総髪(そうはつ)」と呼ばれるスタイルです。
浪人という自由な身であったためでしょうか?
写真で見る限りでは、天然パーマのようにも見えますね。
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刀「陸奥守吉行」(京都国立博物館蔵) |
「吉行」とは、土佐の刀工の銘です。刀長71.5センチの真っ直ぐな直刀。
北辰一刀流の剣術修行に励んだ龍馬の愛刀の一つで、
坂本家から京都国立博物館に寄贈されました。
坂本家の家宝ともいえる名刀で、脱藩した龍馬は、先祖の物を持って死ぬ覚悟で
国家難に挑むという意思を手紙に込め、兄・権平から譲り受けました。
刀は権平から西郷隆盛、中岡慎太郎らへとことづけられて龍馬のもとに届けられました。
龍馬は吉行を常に携えていると権平宛ての手紙でも伝えており、近江屋で暗殺された際にも、
床の間に置いていたと言われ、龍馬は最後に「石川(中岡の変名)、刀は無いか、刀は無いか」
と言って絶命したといいます。
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