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[本山めぐり]建仁寺を歩くコース

建仁寺を歩くコース

祇園の南側エリアにある建仁寺。
境内の内にも外にも幾つか塔頭がありますが、普段から公開しているところは僅かです。
特別拝観や催しがある時のみ公開していたりするので、e-kyotoをこまめにチェックして、
チャンスを逃さないで下さいね!

常光院

建仁寺第24世温仲宗純禅師が開山しました。
1552(天文21)年に焼失しましたが、1604(慶長9)年に木下家定が三江紹益に帰依し、
堂宇を再興しました。折玄関と庫裡が現存する慶長の建物です。
木下家定夫妻の墓は常光院より西数歩、小松町の民家に取り囲まれた一画内にありますが、
親戚関係にあった森可成(森蘭丸の父)の子孫とつたえる美作の森氏一族の墓があります。
茶室は梧庵和尚の好みで宗貞囲の席と三畳半洞床の席があります。
  • 拝観期間:通年(12/28~12/31以外)無休で拝観可。
  • その他の寺宝:茶室、森可政の墓
  • お問い合わせ:075-561-8342
  • アクセス:京阪電車「四条駅」、市バス206「東山安井」

正伝永源院

正伝院は鎌倉時代の文永年間(1264~75年)、宋国より来朝した建仁寺第12世紹仁義翁が
晩年建仁寺内に創建した寺ですが、天文以来荒廃していたのを1618(元和4)年織田信長の弟である
織田有楽斎によって再興されました。
永源庵は正平年間(1346~70年)、建仁寺第39世無涯禅師を開山とし、
細川頼春の菩提寺として東山清水坂辺に創建されましたが、1398(応永5)年現在の地に移ったと伝えます。
明治維新の際に永源院に合併されました。
有楽斎は千利休に師事し、現在各地に有樂流の茶道が受けつがれています。
愛知県犬山市に織田有楽斎ゆかりの茶室「如庵」が復元されています。
  • 拝観期間:非公開文化財特別公開等の特別公開時のみ(日程未定)
  • 国宝:茶室「如庵」(現在は愛知県犬山市へ移築)
  • 重文:書院(現在は愛知県犬山市へ移築)
  • その他の寺宝:狩野山楽筆「蓮の襖絵」
  • お問い合わせ:075-531-0200
  • アクセス:京阪電車「四条駅」、市バス206「東山安井」

北門から入ってみることにしました。

まずは、ここのご本尊・十一面観音菩薩像にごあいさつしていきましょう!
東福門院が寄進したものだそうです。

方丈(本坊)

法堂北にある方丈は室町時代を代表する重要文化財建造物です。
安芸国(広島県)の安国寺から安国寺恵瓊が1599(慶長4)年に建仁寺に移築したと伝えられています。
銅板葺の屋根が優美で印象的な禅宗方丈建築で、
白砂に縁苔と巨岩を配した枯山水庭園「大雄苑」や前庭「潮音庭」があります。
重要文化財の海北友松筆の水墨障壁画「雲龍図」は現在は京都国立博物館に委託され、
橋本関雪筆の「生々流転の図」が納められています。
  • 拝観期間:休日・休館 12/28~12/3
  • 重文:方丈、(「雲龍図」)
  • その他の寺宝:「大雄苑」、前庭「潮音庭」、「生々流転の図」
  • アクセス:建仁寺内

建仁寺と言えば俵屋宗達の「風神雷神図」!こちらには複製が2つ展示されています。
まずは陶板に印刷されたこちらから。
屋内の薄暗さに目が慣れてきた頃に、飛び込んでくる金色がまぶしい。
向かって右手には、建仁寺を紹介するミニシアターがあります。散策の予習にどうぞ。

建仁寺のポスターを見て、「“○△□乃庭”って何??」と思われた方もいるでしょう。
これがそのお庭です。

木の麓に○、井戸が□、そしてこの画像の手前が△の形をしています。
説明書きによると、これらの単純な図形は宇宙の根元的形態を示し、
密教の6大思想(地水火風空識)を地(□)水(○)火(△)で象徴したものとも言われているのだそうです。
地と水と火…どれも私達にとって欠かせないものですね。

さて、禅寺と言えば龍の天井画を観ないわけにはいきません!
こちらの天井画はどのようなものでしょうか?
スリッパに履き替え、木製の門を自分で開けてお隣の法堂へ進みます。
この門、こう見えて自動ロックがかかる仕組み。帰り道も指示通りにボタンを押さないと開かないので、
拝観者達は少々緊張気味です(笑)。
方丈(本坊) 風神雷神図 ○△□乃庭
方丈(本坊) 風神雷神図 ○△□乃庭

法堂

仏殿と法堂を兼ねていて、‘はっとう’と読みます。
拈華堂(ねんげどう)と呼ばれ、禅宗様の仏殿様式です。
臨済宗七本山の中では建仁寺だけ天井に雲龍図が描かれていませんでしたが、
2002(平成14)年に創建800年を記念して畳108枚分の小泉淳作による「大双龍図」が完成しました。
  • 拝観期間:平成19年度は無休(12/28~12/31以外)で拝観可。(※通常は特別拝観時のみ)
  • その他の寺宝:本尊釈迦如来坐像、脇侍迦葉尊者・阿難尊者、「大双龍図」
  • アクセス:建仁寺内

堂内に足を踏み入れた若い外国人グループが、思わず息を呑むのが分かりました。
双龍が珍しい天井画。まだ描かれてから5年程しか経っていないためか、
くっきりと立体的で、まるで浮かび上がるかのような迫力。
創建から800年の間、この天井に何も描かれていなかったのが不思議です。

それとは対照的に、正面の須弥壇では本尊の釈迦如来座像と
脇侍の迦葉尊者・阿難尊者が暗い堂内の中で静かに佇んでいます。

 



♪スキマ情報♪

この大きな天井画は北海道にある小学校の体育館で描かれ、
構想から約1年と10ヶ月かけて完成されました。

二匹の龍は争っているのではありません。共に協力し合いながら仏法を護っているのです。
また龍は「水の神」でもあるので、修行僧に仏法の教えの雨を降らせているのだと考えられています。
ひんやりとした、荘厳な空気は、この龍の力によるものなのかもしれませんね。




無事、門のロックを解除して方丈に戻ります。

広さが気持ちいい枯山水の前庭「大雄苑」。
白砂のまぶしさと、方丈の暗さが対照的。
そのちょうど真ん中に人々が腰を降ろしてお庭を眺めています。




まるでさざ波、あるいはせせらぎの音が聞こえてきそうな砂紋です。
外国人の男性が手を頭の後ろに回して寝転び、しばらく目を閉じていました。
まるで波打ち際のよう。




ついついお庭に目が奪われてしまいましたが、方丈の中に目をやると、
橋本関雪筆の「生々流転の図」が。
今にも波に呑まれそうな小さな丸太の上に一羽の鳥がとまっています。
禅寺の方丈では、屋内の襖絵と外の枯山水庭園とが連動して
一つのイメージを構成しているパターンをよく見かけます。





♪スキマ情報♪

大正~昭和に活躍した橋本関雪の記念館が銀閣寺の近くにあります。
ここからまた一旦外へ出ます。
法堂? 美しい緑色をした松の木 こちらにも○がありました
法堂? 美しい緑色をした松の木 こちらにも○がありました

茶席・東陽坊

1587(天正15)年に豊臣秀吉が催した北野大茶会で、
利休の高弟・真如堂東陽坊長盛が担当した副席と伝えられています。
草庵式二帖台目席のつくりで最も規範的な茶室とされ、
茶室の西側には当寺の名物「建仁寺垣」が設けられています。
また栄西の誕生を祝する開山降誕会では「四頭茶会」と呼ばれる、
現在とは大きく異なったの手前作法で行われ、
闘茶や立礼といった禅院茶礼の古い形態を垣間見ることができます。


♪スキマ情報♪

前回の東福寺特集でも、北野大茶会の時のものを移築したと言われる茶室・観月亭が
霊雲院にありましたね!

「建仁寺垣」は、余りによく見かける形態だったので、取り損ねてしまいました!
きっとここの竹垣がその原型なのでしょう。

露地の一角には、武田氏の一族でもあった安国寺恵瓊の首塚がありました。




再び屋内へ。

本坊裏の「潮音庭」。
作庭は小堀泰厳老大師。建仁寺の管長さんのようです。
ここのお庭を監修した北山安夫さんは、つい最近テレビでも紹介されていましたね。
どちらかと言えば、先程の枯山水の方に「潮音庭」を名付けたくなりましたが、
こちらも苔や木の緑と毛氈の赤が対照的できれいですね。
紅葉の季節にも訪れたくなりました。




東西の渡り廊下に挟まれ、限られた空間に自然の命を凝縮したこのお庭。
それを望む広々としたお座敷がよっぽど開放的で心地が良いのでしょう。
画像にはお一人しか映っていませんが、大勢の拝観者があちこちに腰を降ろして一休みしていました。
思わず足を投げ出してくつろぐ姿も。取材当時は猛暑日だったとはいえ、くつろぎ過ぎ(笑)!



面白い石でできた蹲。



この奥のお座敷へ。
普段は非公開の開山堂の楼門上に安置されているという陶製の十六羅漢像。

清水・五条近辺の陶工がそれぞれ一人一体ずつ、自分の得意とする方法で製作しているのだそう。
陶工達との親交や、清水焼の様々技法が伺える作品なのだとか。




さて、再び「風神雷神図」が登場です。



こちらは、ニューヨークでの展覧会への出展要請を機に、京都国際文化交流財団が最新デジタル技術と
グラフィックデザイナーの色調補正によって、特殊開発された和紙にプリントされたもの。
金箔の再現だけは、西陣の伝統工芸師が協力されたようです。

近頃の京都では、あちこちの寺院で大型スキャナーによって襖絵等をスキャンし、
現物に迫るほどの精巧な複製を作る事によって、その文化財を保存する動きが進められています。

どうでしょう?こちらの複製は、より細かな部分まで再現されているような気がします。



この円窓の奥の新しい建物は何でしょう?写経場かなあ…。




見どころの多い本坊。ここだけで結構な時間が流れました。
「○△□乃庭」に向かって置かれたテーブルと金魚鉢と、風鈴の音。
外の暑さに疲れた拝観者を迎え入れるような、おおらかさとおもてなしの心を感じました。

 
茶席・東陽坊
茶席・東陽坊

陀羅尼鐘

修行僧が観音慈救陀羅尼を一万編唱えながら鐘を撞いた事から。
鴨川から引き上げたとの説もありますが、鎌倉時代の鋳造です。

両足院

建仁寺の第35世龍山徳見が開山しました。
客殿や織田有楽好みの茶室「水月亭」は嘉永年間(1848~1854年)に再建されました。
藪内家の菩提寺であり、藪内家五代の竹心紹智が作庭した露地庭と伝えられています。
池泉廻遊式庭園は名勝に指定されており、全体で約300坪にも及びます。
龍山徳見が元から連れ帰った中国人・林浄因が、日本で初めて饅頭を作ったと伝えられています。
本尊の阿弥陀如来は鞍馬毘沙門天の胎内仏だったとされています。

  • 拝観期間:方丈・庭園・茶室のみFAX(075-561-3270)、電話、往復葉書にて要予約 特別公開時…春の特別拝観・寺宝展 4/21~5/6頃 等(京の冬の旅1/14)~3/19※2006年度例)
  • 重文:伝如拙筆「三教図」
  • 名勝:池泉庭園(回遊式)
  • その他の寺宝:書院、茶室「水月亭」「臨池亭」、長谷川等伯晩年の筆「松に童子図」、伊藤若冲筆「雪梅雄鶏図」
  • 拝観料:春の特別拝観:800円
  • お問い合わせ:075-561-3216
  • アクセス:建仁寺内


名前の由来は、仏の10の尊称の一つ「両足尊」から。如来の別名でもあります。
また、梅雨時には、池の周りの夏草の葉が三枚ずつ白く変色するので「三白草の寺」とも。

普段は非公開ですが、約300坪の敷地を誇る庭は、枯山水の方丈前庭、方丈東庭(伝・桃山時代の作)と、
江戸中期作庭の池泉廻遊式庭園の書院前庭で構成され、それぞれ異なった趣の庭を楽しむ事ができます。

茶室「水月亭」(暦の席)は、織田信長の実弟であり、千利休に茶を学んだ大名茶人として名高い織田有楽斎が、
建仁寺の塔頭・正伝院に建て、隠居したという名席・国宝の「如庵」(現在は愛知県の犬山城近くに移築、
正伝永源院にある茶室は復元)の写しと伝えられています。

隣の茶室「臨池亭」は、昭和初期に白木屋(東急百貨店の前身)の創業者、大村彦太郎により寄進されたものです。
また、茶道藪内家の菩提寺でもあり、墓地には薮内家流の家元の中興の祖・竹心居士の墓等著名人の墓があるそうです。

ここのご本尊は、鞍馬毘沙門天の胎内仏でした。比叡山が織田信長によって焼き討ちにあった時、
鞍馬の僧が比喜多養清(室町将軍の茶家で筑前黒田家京都御用達)の所へと、
尊像を疎開させたものなのだそうです。
この尊像を、黒田長政は内兜に収めて関が原の合戦に出陣し、勝利を収めたのだとか。

毘沙門さんは、脇仏として魔王、不動明王を祀り、毘沙門天堂の狛犬は寅の姿。

寅年の人の守り本尊でもあります。毎月8日には月例祭を行っています。

こんなエピソードを聞くと、ここぞという勝負の時に、毘沙門さんのお力添えを頂きに上がりたくなりますね。

ちなみに、この両足院はおまんじゅうの始祖の寺でもあるそうです!なんじゃそりゃ!

というのは、開山の龍山和尚が元からの帰国の際に、同行した中国の林浄因が奈良に住み、
日本で初めて餡入りの饅頭を作ったのだそうです。
その子孫が饅頭屋と称して後に京都へ移り、今も烏丸に饅頭屋町という町名が烏丸通三条下ルの辺りに残っています。
その後一族は移住し、現在も東京・塩瀬総本家として続いています。
両足院 寅年の人の守り本尊
両足院 寅年の人の守り本尊

開山堂

開山栄西禅師の墓所です。苔むした庭に開山お手植えの菩提樹が今も茂っています。栄西禅師は、岡山吉備津宮の神官出身であったと伝えられていて、仏門に帰依されながらも日本古来の神を信仰し、建仁寺の建立にあたり守護神として恵比須神社を建立しました。禅師は自らの墓所を恵比須神社の真正面に向かい西向きに建てるよう遺言し、開山堂は恵比須神社の真正面東に当たる位置に建てられています。
  • 拝観期間:特別公開時のみ…春の特別拝観・寺宝展 4/21~5/6頃 等
  • その他の寺宝:赤旃檀釈迦如来像、「竜虎図」、「孔雀図」
  • 拝観料:春の特別拝観:800円
  • アクセス:建仁寺内

こちらもまたまた普段は非公開。
江戸期のものと伝わるこの楼門は、鳴滝にある妙光寺から移築されたものだそうです。
栄西禅師像、開基・源頼家の像、また、加藤文麗筆「龍虎図」や原在中「松鶴波図」「白梅群禽図」
「孔雀図」等の名品を所有しています。

三門

三門は「望闕楼」といい、「御所を望む楼閣」という意味で名づけられました。静岡県浜松市の安寧寺から1923年に移築したもので、江戸時代末期の建築です。
  • その他の寺宝:観音菩薩像、十六羅漢像
  • アクセス:建仁寺内

禅寺の特徴として、方丈・法堂・三門が一直線上に並んでいます。
楼上には法堂と同じく、釈迦如来、迦葉・阿難の両尊者と、十六羅漢が祀られているそうです。
三門
三門

茶碑

茶祖・栄西を徳を称え、昭和58年に建立されました。
傍らでは春に枝垂れ桜が咲き、10月には茶の花が見頃を迎えます。

浴室

寛永5(1628)年に三江和尚(諱紹益)により建立されました。
七堂伽藍の一つで、内部は待合・浴室・土間(火炊場)に分かれています。
蒸し風呂で、禅寺では入浴も大切な修行の一部として、厳しい作法が細かく定められています。
平成14年の開創800年の記念事業として、解休前の古材を用いて復元され、
鎌倉時代の古図に基づいて境内の南東部に移転されました。

「浴堂」ともいい、現在は浴室としては使用されていませんが、
禅宗の寺では僧堂・食堂(じきどう)と共に三黙堂と呼ばれ、
入浴中は終始無言で厳しい作法を守る修行の場であった事を今に伝えています。
浴室
浴室

禅居庵

取材当時は、建仁寺派の前管長を務めていたという素堂老漢の遺墨展が開催中だったので、
入る事ができました。

「さて、素堂サンとはどんな作品を描いた人だろう?」と思いつつ中に入ると、
入り口にあった小坊主さんの墨絵を観てピンときました。
和菓子の松壽軒さんの手提げ袋に描いてある絵と同じ!
この方は、建仁寺と鎌倉の建長寺の管長さんだったようです。
お名前でネット検索すると、先程の小堀泰巖さんのH.Pがヒットするのですが、
よく見ると小堀泰巖さんもなかなかユニークなお方のようです。

子供好きだったという師が描く、愛らしい小坊主や雀のしぐさ、
子供向けに書かれた平仮名の手紙には、温かい人柄が表れていました。
禅居庵
禅居庵

摩利支尊天堂

1333(元弘3)年清拙正澄禅師を開祖とし小笠原信濃守貞宗が建立しました。
インド古来の開運勝利の神・摩利支尊天を祀っています。
「摩利支天像」は1326(嘉暦1)年に北条高時の詔により中国から日本へ渡るに際し
清拙正澄禅師が袈裟に包んで無事に将来したと伝わっています。
本堂の摩利支天堂(室町時代に建立)は中世の禅宗様仏殿としては、
貴重な遺構とされる唐様仏殿です。
明治末年に書院改造の際に書院の西部に作られた龕破の席の茶室があります。
  • 拝観期間:展示会等の催し期間外は非公開。摩利支尊天堂は拝観可。
  • 重文:海北友松筆「紙本墨画松竹梅図」
  • お問い合わせ:075-561-5556
  • アクセス:建仁寺内

元の清拙正澄禅師のお手製(!)と言われるこの摩利支尊天の像。
金沢の宝泉寺、上野の徳大寺と並ぶ、日本三大摩利支天の一つです。
禅師が海岸で、自分が招かれている日本へと思いをはせていた時、
この尊天が猪の背に座した姿で表れ、「東の国には縁があります。
私も一緒に行ってあなたを護るから、末世の人々を救い、国家を守ろう!」と
禅師をプッシュしてくれたそうです。
その時の尊天の姿を、禅師は形に留めておこうとしたのです。
そのお姿を拝見してみましょう!
お、驚くほど小さい…。

摩利支天は、陽炎を神格化した女神(女だったのか…)なので、本来人の目には見えない存在なので、
仏典でも摩利支天は「できるだけ小さく造形するように」と指示されているそうです。

摩利支尊天の6つの手にある弓矢剣は、悪魔を降服し怨賊を滅し、
絲針は女人の手技を助けて陰口の唇を縫い閉じ、無憂樹(ムユウジュ。釈迦の母・摩耶夫人が
無憂樹の木から花を一枝折ろうとした時、左脇腹からお釈迦様が生まれた)は
五穀を稔り豊かにして万民の飢餓を救うのだそうです。なんて多才な神様なんでしょうね!

摩利支尊天についてはこちら

境内には尊天のお使いとされる猪が祀られているため、「狛いのしし」が見られます。
亥年生まれの守護としても信仰を集めています。
摩利支尊天堂
摩利支尊天堂

勅使門

柱や扉に戦乱の矢の痕があることから「矢の根門」または「矢立門」と呼ばれています。
銅板葺切妻造の四脚門で鎌倉時代後期の遺構を今に伝える重要文化財となっています。
  • 重文:勅使門
  • アクセス:建仁寺内

間近に見られなくて残念でうが、あの小さな凹みがたくさん見られるのは、矢の痕なのでしょうか?
だとしたら、結構激しく…(汗)。
勅使門
勅使門

霊洞院(僧堂)

海雲が開基した建仁寺の塔頭です。1552(天文21)年兵火によって焼失、
1554(天文23)年に再興しました。1889(明治22)年に僧堂として専門道場になりました。
黙雷宗淵(もくらいそうえん)が建仁寺の僧堂(専門道場)としました。
国の名勝である方丈・書院前の池庭は江戸中期頃に作庭され、
昭和に入り重森三玲によって修復されました。織部風の寄せ灯籠や十重石造層塔など、
簡素な中に建築ともによく調和した優雅な趣です。
  • 重文:海北友松筆「琴棋書画図」、伏見天皇宸翰「読漢書詩」、「村庵霊彦墨跡 尺牘」
  • 名勝:池泉廻遊式庭園
  • アクセス:建仁寺内

この日は何やら法要があったのでしょうか、正面の玄関に立っていても誰も来られないので、
横の入り口から入らせて頂きました。立派なお庭に、掃除の行き届いたお座敷。


本当に誰も居ないので、入って良かったのか、かえって不安になるくらいでした。
外に出ると、お坊さん達がこちらに向かって列を成して歩いてきたので、やはり場違いだったのではと、焦ってしまいました。

さて、ここから外へと出ました。
ここからは先は、あの世へとご案内…。


霊洞院(僧堂) 立派なお庭
霊洞院(僧堂) 立派なお庭

六道珍皇寺

建仁寺の塔頭。空海の師慶俊が開基といわれています。
正平年間(1346~70年)に、建仁寺の僧良聡によって再興されました。
寺の所在地が葬送地の鳥辺野(とりべの)の端にあたるため、
現世と冥界の境界として小野篁が本堂裏にある六道の辻の井戸から冥土通いをしたという伝説が生まれ、
「六道まいり」の信仰を集めました。
寺の寺宝である梵鐘の迎え鐘によって精霊がこの世に蘇ると信じられ、京の盆の始まりとされています。
篁堂に小野篁像が安置されています。

  • 拝観期間:境内は通年(12/20~12/31以外)無休・無料で拝観可。
    ※重文の本尊薬師如来や地獄絵等の拝観は事前にFAX(075-541-8980)、電話、葉書にて要予約。
  • 重文:木造薬師如来坐像
  • その他の寺宝:迎え鐘、「参詣曼荼羅」、「熊野観心十界図」、小野篁像
  • 拝観料:境内は無料(※重文の本尊・薬師如来並びに寺宝(参詣曼荼羅・熊野観心十界図)拝観:400円)
  • お問い合わせ:075-561-4129
  • アクセス:市バス206「清水道」


冥界へ通じているという六道の辻の井戸はどこかと思いきや、本堂脇の扉越しに見学するんですね。
う~ん、眺めるにはちょっと遠い景色だけど、手前の蹲から涼しげな音が聞こえてくるのが気持ちいいです。
簡単には近づけない、というところがこの井戸をミステリアスに見せます。




こちらが迎え鐘。壁越しに打つのもまた、ミステリアス!




小野篁像も覗き穴からその姿を拝見します。覗いた瞬間、像と目があって思わずドキッ。
普段は静かなお寺なので、こちらが最も賑わうお盆の六道まいりの頃に、
是非ともまた訪れてみたいですね。 建仁寺は禅寺の中でも最も古いというだけあって、
華やかというよりはどこか侘びた、落ち着いた印象がありました。
直接お話する機会は少なかったものの、お見かけした僧侶の方はどの人も自然体。
境内には、法堂の外の片隅に座って足をぶらぶらさせながら涼む浴衣の女の子、
取り留めもない話をのんびりと語る若い男女の学生さん。
公開していない塔頭が多いので、訪れる前は堅いイメージを持っていましたが、
どことなく、おおらかさを感じるお寺でした。

一言コラム

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