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源氏物語とは何ぞや?

 

源氏物語特集 源氏物語とは何ぞや? 源氏物語を読んでみよう 京都・源氏物語を歩く

もしも二千円札紙幣を見つけたのなら、裏側を見てみて下さい。
紙幣左側には、「源氏物語絵巻」(平安時代後期・12世紀)の第38帖「鈴虫」の絵と詞書が、
紙幣右側の下には、「紫式部日記絵巻」(鎌倉時代前期・13世紀)に描かれた「源氏物語」の
作者・紫式部の姿が描かれています。

作者・紫式部(979年頃~1016年頃)について

本名は不明(一説には「香子」とも)。
女房名は「藤式部」で、「紫」は『源氏物語』の作中人物「紫の上」から、
「式部」は父が式部大丞だったことに由来しています。
「女房」とは、職場に「房」という個室を与えられているキャリアー・ウーマン的な存在で、
つまり「紫式部」とは、『紫の物語』を描いた「式部省」のゆかりの人、という呼び名です。
現在の廬山寺の辺りに住み、幼くして母を無くしたともいわれています。
幼少の頃より漢字の素養があり、才女ぶりが伺える逸話を残しています。
20代後半で20歳近く年上の藤原宣孝と結婚後するも、早くして夫と死に別れ、
藤原道長の娘で一条天皇の中宮・彰子に女房・家庭教師役として仕えました。
その頃から源氏物語を創作し始めたとされています。
源氏物語の他には、「紫式部日記(紫日記)」「紫式部集」が知られています。

■「世界の偉人」としてユネスコ登録されている!
紫式部は、日本人唯一の「世界の偉人」の一人として、
1965年にユネスコ(国連教育科学文化機関)に登録されています。
まさに世界レベルの文豪!?
日本の紙幣のデザインに採用されるのも頷けますね。

■多くの勅撰集歌人を輩出した家系の娘

紫式部の父・藤原為時は越前守や越後守を務め、一条天皇の時代の代表的な詩人でもあり、
漢詩文に才能を発揮し、新古今和歌集にも選集されています。
母もまた、勅撰歌人だった藤原文範(ふみのり)の孫であったといいます。
また他の曽祖父には、古今和歌集・小倉百人一首に選集される藤原定方と、三十六歌仙の一人であり
古今和歌集に選集される藤原兼輔がおり、また紫式部は娘の賢子と共に勅撰歌人で、
二人とも「百人一首」に選集されています。
他にも、たくさんの親族が勅撰集歌人として紫式部の家系に連なっています。
紫式部は、文学を学ぶ環境に恵まれていたのではないでしょうか。

ちなみに、『小倉百人一首』に入選した紫式部の歌は、
「めぐりあひて 見しやそれとも わかぬまに 雲がくれにし 夜半の月かな」です。


■中級貴族として観察力を発揮
紫式部は、中級貴族の家に生まれたことで、自分より身分の上の者から下の者まで広く精通し、
感性豊かな人物に育つ素地があったとも言えます。

■記憶力・理解力が抜群!
幼い頃に兄弟の惟規(のぶのり)が父から漢籍を教わっているのを横で聞いていた紫式部は、
彼よりも早くすらすらと覚えてしまいました。
平安時代の公文書は漢文を使うために漢文の力は出世に結びつくと考えられていたため、
父親はいつも紫式部が男の子であれば良かったのに…といつも嘆いていたといいます。

■他府県に住み、更に視野を広げる
父親と地方の任国で暮らした経験があり、そのためか「源氏物語」に登場する舞台では
京都以外にも兵庫県や滋賀県にも及んでおり、物語の展開に広がりがもたらされました。

源氏物語について

■主人公の孫の代にまで至る・世界最古級の長編小説
源氏物語は、11世紀初め頃に、「桐壺」から始まり「夢浮橋」に至る全54帖に及び、
主人公・光源氏からその子・孫に至る70年余りのストーリーを描いた、
古代において世界最古の長編小説と言えます。

最初から「源氏物語」と呼ばれていた訳ではなく、「光る源氏の物語」等と呼ばれており、
光源氏の身近に仕えていた女房が語りかけているかのように書かれています。
源氏物語は三部に分ける事ができます。

「桐壺」~「藤裏葉」(33帖):誕生~栄華を極める源氏、
「若菜上」~「幻」(8帖):幸せな暮らしに陰りが見え始め、苦悩のうちに生涯を終えようとうする源氏、
「匂宮」~「夢浮橋」(13帖):光源氏の子と孫の世代の物語。

このうちの最後の10帖は、宇治が主な舞台になっている事から「宇治十帖」と呼ばれています。
主要な登場人物で50人、端役を入れると400人を超えます。
さらに人物一人ひとりにそれぞれのキャラクターを与え、きちんと書き分けられています。
 
■女性文学作品の最高峰
仮名文字を画期的に使った、人々に親しみやすい女性文学作品の代表であり、
最高峰としての位置づけをされています。これによって、平安女性の地位を高めたとも。
 
■フィクションを現実にさせる人気ぶり
物語に登場するフィクションであるはずの女性、夕顔の墓が実際に造られており、
京都という風土と、墓を建てた人の心情が豊かな情感を思わせます。

源氏物語は、民間に流布していく中世から近世へかけて愛読者が増え、
江戸時代中期頃には、「宇治十帖の舞台はここかもしれない。
ここであって欲しい」という“古跡”が、宇治一帯のあちこちに建てられ名所となっていきました。
これらは、日本最古の“文学遺跡めぐり”“文学散歩”コースとも言われています。
 
■貴族社会や人間の光と闇をも描き出す
単に王朝の栄華だけを描いた平安文学とは異なり、光源氏を取り巻く光と闇の部分、
光源氏の父・桐壺帝を通じて描かれる秩序に背いて愛に苦しむリアルな天皇像など、
優雅な貴族社会の影の部分にも目を向けて描いたのは、物語史上初の作品と言えるかもしれません。
 
■「往生要集」の影響
無常観の濃い物語世界で、物語に表れている深く重層的に追求された人情の機微を通して、
当時一番新しい外来仏教であった天台宗を比叡山の僧達から学び、
知識人達がどのように考えて生き、また行動したか、その根本の発想までも描写してみせています。
紫式部が、極楽浄土の源流のひとつ「往生要集」を説いた源信(登場人物「横川の僧都」の
モデルと言われる)の影響を受け、源信の思想を背景にして出来上がったともいわれています。
 
■「もののあはれ」の頂点
江戸時代の国学者本居宣長は、源氏物語を「この物語、物の哀れを知るより外なし」と
高く評価しています。
「物の哀れ(もののあはれ・もののあわれ)」とは、
「見る物聞く事なすわざにふれて情(ココロ)の深く感ずる事」を宣長は「あはれ」と言うのだと述べています。
和歌や源氏物語等を通し、平安時代の文学や貴族の生活の底流を流れる美意識として提唱しています。

なお「蛍」の巻では、源氏が文学論について話す興味深い下りがあります。

<参考リンク・本居宣長記念館H.P


■余談・あの不思議なマークは何?
源氏物語に関する本を読んでいると、よく見かけるこの幾何学的なマーク。
これは「源氏香」といい、香道の遊びの一種で、5つの香を順番に聞き
(香りを嗅ぐ事を「聞く」と言います)
その組み合せの名前を当てるというもので、江戸時代に成立しました。
5つの香の組み合せ総数が「源氏物語」の帖数とほぼ重なることから
「源氏香」と呼ばれています。

源氏物語が、紫式部という女性作家一人で全てを書き上げられたのかについては論議もあるようですが、
大部分が彼女の作品である事は確かとされています。 400人もの登場人物を創造し、動かす作家魂、
生活空間や自然風土が人物と一体になって描写・展開される筆力、広い視野と人間観察力によって
高められた文 学作品である事は間違い無いと言えるでしょう。
参考文献
・「おんなの史跡を歩く」京都新聞社 編 京都新聞社
・「平安京の風景」上田正昭 監修 井上満郎 著 文英堂
・「文学とその舞台 描かれた京都今昔」駒 敏郎 編 講談社

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