無性に寺に行きたくなった。体が寺を欲していた。
今日は休日。
念願の伊藤若冲の絵に会いに行く日だ。京都国立博物館の美術室長による大学の講義がきっかけで、
私は伊藤若冲の大ファ ンになってしまった。
京の台所・錦市場の青物問屋(八百屋のようなもの)の長男として生まれ、後に家督を弟に譲って
絵を描くことに没頭した画家。
鮮やかで精密な軍鶏図、画面いっぱいに描かれた犬や貝の絵など、既にテレビや新聞の折込みによって
一般にも急激に名が知れ渡り、館内の人口密度は高かった。絵に近づくのにひと苦労。
それにも関わらず私の中では期待以上の満足度であった。これから訪れる金戒光明寺蔵の絵もあり、心が躍った。
私自身、昔から絵を描いたり観たりするのが好きで、今年から日本画も習い始めた。異常な程に精密な描写、
デフォルメによる美しく生き生きとした 墨の流れとその色。大胆な構図、かわいらしい人物図。
言葉で書くと、自分の感動がどうしてもありきたりな表現になってしまう。
若冲は「この人一体何考えてんの?」と思ってしまうような発想の持ち主である。
正直こんなに有名にはなって欲しくなかった。まだまだ私だけの お気に入りの画家にしたかった。
図録も迷わず購入。ずっしりとしたボリュームなのに¥2500とは良心的な値段ではないだろうか。
いずれ若冲ゆかりの金閣寺や相国寺等にも足を運んでみよう。
口コミに頼り、博物館から徒歩で梅香堂へ向かう。友人とこの日 の昼食はここの抹茶ゼリーパフェにしようと
心に決めていた。東大路通りに面した店の表は和菓子屋さんのよう。若いカップルがガラスケースを覗き込んでいる。
中はとっても素朴だ。おばちゃんがパフェを机の上に置く。「おいしそ〜」。
ホイップクリームの乗ったアイスクリームにバナナが突き刺さり、みかんが座り、抹茶ゼリーが乗っかっている。
抹茶をたっぷり使っていそうなシロッ プがその間をぐるぐるとろ〜りと巻きついている。
頂点に君臨するは梅の形の可愛らしい抹茶ゼリー。ちょっとしたアクセントがにくい。夢中になって
食べているうち肌寒くなってきて思わず上着をはおってしまった。自家製小倉ホットケーキやピザなどの
ランチも美味しそうだ。次回試してみたい。
そのまま京阪七条から京阪丸太町へ移動し、黒谷さんこと金戒光明寺へ。若冲に続き、以前から会いたかったのが
「秋のお寺」だった。聖護院八つ橋の店を眺めながら住 宅街へと入り、階段を登ると大きな門が私たちを待っていた。
観光シーズン真っ盛りなので人も結構いるが、きっと普段はとてもひっそりとしているのではな いだろうか。
三門をくぐると、なにやら大勢のおじいちゃんカメラマンがたむろしていた。どうやらモデル撮影会が行われて
いるらしい。お寺をバック に、和服姿と洋服姿のモデルがそれぞれ頭の後ろで腕を組んだり、壁にもたれかかったりと
意味不明なポーズをとり、素人カメラマンがそれを取り囲んでフラッ シュを焚く。笑ってはいけないが
とっても滑稽に見えて仕方が無い。男友達は「あの娘かわいい。」と眺めている。
やれやれ。
堂内に入ると懐かしいお香の香りがする。既に特別拝観期間は過ぎてしまっているので入れる塔頭が少なく、
少し残念な気がした。しかしこの薄暗 さと足元の滑らかな木の床板が心地よい。数人が行き交う中、
おばさんがひとり、座って本尊をじっと眺めている。外に出て階段に腰を降ろす。遠くに京都タワーを見つけると、
自分たちが意 外に高いところに来ていたことに気づく。いい夜景スポットになりそうだが、夜こんなところに
入るのは果たしてできるのだろうか。皆思い思いに境内をぶ らぶらしたりしている。階段に腰掛けたまま友人と
ゆったり談笑する。散歩中の犬が楽しそうに駆け回る。冷たくなりかけている空気を吸って吐くと体の中が
洗浄されていくような気持ちになる。こんなひと時がお寺での醍醐味だと私は思う。
真如堂(真正極楽寺)を目指し民家の間を縫うように歩く。何度も角を曲がる度にわくわくしてくる。
やはりここでも人はたくさんいた。燃えるような紅葉には少し早いとはいえ、赤、あお、黄色のグラデーションも美しい。
紅葉に照らされ、頭上を見上げる 人々の顔は明るい。私もかつて寺社仏閣での説明ガイドの経験があるので、
説明役のおじさんの話を聞くのが何だか愉快に感じる。おじさんたちはとにかく知っていることを
何でも話してしまおうとするので、なかなかその場から離れられなくて少々困ったが、
皆愛想良く、ほのぼのとしているのが良かった。
涅槃の庭の真ん中、釈尊が涅槃に入る姿になぞらえた横長の岩の傍らに、赤い実を携える一本の小さな木が植わっている。
マンリョウだろうか。美 しい少女が静かに佇んでいるような上品さがある。やはり借景であるため、
円通寺の庭園にも似ている。そして街角の空気とこの庭の空気とは明らかに何か が違うのだ。本堂を囲む廊下を、
足裏にひんやりとした感触を楽しみながら一人で歩いてみた。まだほとんど緑色の木々に囲まれた渡り廊下のそば、
雨宿り をするかのように立った一本の木の葉が夕陽を受け、優しい朱色に輝いていた。
何故一本だけ紅葉しているのか不思議だが、ここでやっとカメラのシャッター を押した。
帰りにもこの木を眺めた。背後で後から来た数人の観光客が静かな歓声を洩らすのが聞こえた。
境内は賑やかだった。いたるところでカメラを構え る人の姿があり、歩くのにいちいち遠慮してしまう。
皆私たちと同様、紅葉を愛でにきているのだから仕方がないが、大勢で同じ木を写そうとするのは異様だ。
殆ど同じ作品ができてしまう。
参道には木の葉が波のように押し寄せている。
これが真っ赤になれば、まるでモーセの十戒に登場する海の道みたいに見えるのではないか。
ここは 天台宗のお寺だというのに。何度も振り返りながら、秋の真如堂を後にした。