新選組伏見ツアーのスタートは地下鉄烏丸線十条駅から。十条通を東へ。
竹田街道十条の交差点斜めの道を下がって少し行くと鴨川にかかる大きな橋がある。
ここが勧進橋。お稲荷さんに寄進するためのお金を取るため、俗名銭取橋と呼ばれていた。
元治元(1864)年6月、池田屋事件を聞きつけて長州勢が大挙して京へ押し寄せてきた。
会津藩の命を受け、会津藩兵や見廻組など幕府諸隊も九条河原に布陣、
新選組も銭取橋下に誠の旗を翻して布陣した。これが禁門の変に繋がっていく。
銭取橋は又、慶応2(1866)年6月、武田観柳斎が薩摩藩と内通していたとして斎藤一に
斬られた場所ともされるが、実際には除隊を許され、故郷の出雲に帰る途中に
竹田街道に差し掛かった時に斬られたという説も有力だ。
現在は夜でも車の絶える事がない勧進橋だが、当時は勧進橋を渡って本街道へ出るまでは
夜は人通りも少なく、寂しかったそうだ。
武田もスゴ腕の斎藤一と共に銭取橋を渡るのは生きた心地もしなかっただろうな。
実際に殺されてしまったけれど・・・。
現在の勧進橋はコンクリート作りの堂々とした橋だ。
車や自転車が絶え間なく通り、排気ガスで空気は悪い。
新選組が布陣したのは勧進橋の西側。河原は広く、自動車が駐車されている。
鴨川には水鳥が舞っていた。
勧進橋(銭取橋)を渡って少し行くと稲荷新道の石碑が見える。
東へ折れて500mほど歩くと京阪伏見稲荷駅だ。
駅の中まで朱の柱にお狐様というお稲荷さん仕様の駅から京阪電車の普通電車で3駅。
墨染へ向かう。
住所:南区東九条南石田町~伏見区深草勧進橋町