京都観光ポータルサイト - e京都ねっと

 
 

幕末の史跡を訪ねて(続き)

★ お食事処紹介 ★

幾松(いくまつ)・維新庵(いしんあん)

木屋町御池上ルの料亭「幾松」では、\4800-以上の料理を予約すると、
部屋を説明付で見学することができる。

お昼には以下のメニューがおすすめ。
幾松みやび膳 ¥4800-
幾松京会席膳 ¥6000-

もっとリーズナブルに!という方には予約なしでもOKのおとなりの維新庵で
桂小五郎御膳  ¥1030ー/昼のみ
佐久間象山御膳 ¥1800-
坂本龍馬御膳  ¥3800-

など幕末の人物の名前を冠したお膳もいただける。

住所:中京区木屋町御池上ル
TEL:075-231-1234
営業時間:11:00~14:00
            17:00~21:00

幾松外観

幾松外観

武市瑞山寓居跡(たけちずいざんぐうきょあと)

武市瑞山は龍馬・慎太郎と同じ土佐四天王の一人。

土佐勤皇党を結成し、公武合体派を退け、藩論を尊王攘夷に導いた。

京都での拠点には始めは土佐藩邸を利用していたが、密議を交わすため、
木屋町姉小路に寓居することになった。ここで越後浪人・本間精一郎暗殺の密議も交わされた。
誰が直接手を下すかを瑞山の家でくじ引きで決めたとも言われている。
瑞山一派に暗殺された本間精一郎遭難の地碑は木屋町蛸薬師下ルに立っている。

瑞山は尊攘運動の衰退と共に弾圧され、最後は切腹を命じられ、非業の死を遂げている。

住所:中京区木屋町姉小路下ル

武市瑞山寓居の地碑

吉村寅太郎寓居跡(よしむらとらたろうぐうきょあと)

吉村寅太郎は武市瑞山・龍馬・慎太郎と同じ土佐四天王の一人。

武市瑞山の土佐勤皇党に参加。京都では瑞山の家の2軒隣に寓居していた。
後、天誅組を組織し、倒幕の兵を挙げたが、敗死した。
 
住所:中京区木屋町姉小路下ル

吉村寅太郎寓居の地碑

三条大橋(さんじょうおおはし)

東海道五十三次の終点にある三条大橋
禁門の変で負けた後、桂小五郎は乞食に変装し、三条大橋の下に潜みながら、
京都脱出の機会を伺っていた。それを助けたのが恋人の幾松。
三条大橋の上から握り飯を投げ、桂に食料を提供していた。

人の行き交う三条大橋で二人のロマンスを思った。

住所:中京区川端三条東入ル

現在の三条大橋。ここの上から幾松が
桂小五郎に握り飯を投げた!?

小川亭跡(おがわていあと)

旅館・小川亭の2人の後家は出入りする勤王の志士たちを助け「勤王婆さん」として有名だった。離れが鴨川に面していたので逃げやすく、勤王の志士達の会合に利用された。

有名ところでは、桂小五郎らも出入りしたという。
明治になり、志士たちの銅像を故郷に作ることになった時、その顔の検分役として小川亭の後家達が呼び出されたほど、結びつきは密接だった。

住所:縄手通り三条下る西側・京阪三条駅を東へ出てすぐ

勤皇ばあさんの経営する小川邸には
大勢の志士達が集まった。

池田屋騒動跡(いけだやそうどうあと)

三条河原町東入ル明治屋の横に「維新史跡・池田屋騒動跡」の石碑が建っている。

1864年、祗園祭りの宵々山の日、京都市中放火を企てていた尊皇攘夷派の長州・土佐の志士が三条小橋の旅館・池田屋で新選組に襲撃された。
この事件によって新選組はその名を天下に轟かせた

多くの死傷者を出し、血が流れた旅館の跡地だが、今はひっそりと石碑が残るのみ・・・。

住所:中京区三条河原町東入ル

自販機の横にひっそりと立つ
池田屋騒動の石碑

酢屋・坂本龍馬海援隊屯所跡(すや・さかもとりょうまかいえんたいとんしょあと)

坂本龍馬が近江屋で遭難する直前まで身を寄せ海援隊京都本部が置かれていた酢屋嘉兵衛 宅。入り口に「坂本龍馬寓居の跡」の石碑が立っている。町屋風の作りで1階は木工芸のお店

2階のギャラリー龍馬では遭難の日11/15から約1週間、龍馬の遺品が公開されて いる。去年は龍馬愛用の弁当箱煙草箱・龍馬暗殺の記述がある「海援隊日記」が展示されていた。

龍馬は酢屋2階の出格子から高瀬川目掛けてピストルの試し撃ちをしていたという・・・。

酢屋の前の通りは「龍馬通」と名づけられ、今なお、京都の人々に親しまれている。

TEL:075-211-7700
ギャラリー入館時間:12:00~18:00
定休日:月曜日
ギャラリー入館料:500円
アクセス:市バス河原町三条バス停より徒歩5分

「龍馬追悼展」開催時の酢屋入り口

龍馬寓居の地碑が立つ酢屋

土佐藩邸跡・土佐稲荷神社(とさはんていあと・とさいなりじんじゃ)

木屋町蛸薬師界隈は土佐藩関係の史跡が集中している。

蛸薬師通河原町と木屋町の中ほどにある岬神社は元は土佐藩邸の中にあり、
坂本龍馬ら土佐藩の志士たちもよく参拝したことから、
「土佐稲荷神社」とも呼ばれ、赤いのぼりがはためいている。
中には小さい龍馬像・肖像画もある。

木屋町にかかる蛸薬師橋のたもとには「土佐藩邸跡」の石碑が建っている。
この一帯に山内氏の土佐藩邸があり、龍馬をはじめ、土佐四天王達もさかんに出入りしていた。

住所:
土佐稲荷神社:木屋町蛸薬師西入ル
土佐藩邸跡:木屋町蛸薬師・元立誠小学校前

龍馬も参拝した土佐稲荷神社

高瀬川沿いの土佐藩邸跡碑

古高俊太郎邸跡(ふるたかしゅんたろうていあと)

みそ汁で有名な「しる幸」の前に「勤皇志士・古高俊太郎邸跡」の石碑が建っている。古高は長州藩士で、新選組に捕らえられ、土方歳三による逆さ吊りの拷問を受け、尊王攘夷派の京都放火計画を自白させられた。

これがきっかけになって池田屋事件が起こり、長州・土佐などの志士多数が死傷した。

数々の藩邸が軒を連ね、暗殺事件も頻発した木屋町・河原町界隈・・・。
都会の喧騒の中にひっそりと建つ石碑に幕末の激動の歴史を感じた。

住所:下京区木屋町四条上ル西入ル南側

しる幸前の古高俊太郎邸跡碑
※このページの掲載情報は、取材時のものであり、現在のもの、歴史上の事実とは異なる場合がございますので、ご了承下さい。参考としてご覧頂きますようお願い申し上げます。

一言コラム

arashiyamaようやく秋らしい寒さが、木々の端々を染め初めた平日に、嵐山の福田美術館へ母と行く事になり、交通手段について...[続きを読む]
e京都ねっと
当サイトへのリンクは自由です。
よろしければ、↑上記のバナーをお使いください。