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【第26回 恩】

市田ひろみさんの

第26回 恩

今年一年はどうでしたか?毎年同じことをしていても、必ず新たな出会いがあります。
人と人との繋がりは大切なもの。そこでこんなコラムをご用意しました。  


「恩を忘れたらあかん」


長く仕事をしていると、転機に当たる大きな節目が何度か訪れます。
追い詰められたり迷ったり、決断を迫られたり・・・。
そういう節目にぶつかったとき 力を貸してくださる人に出会えるというのは
とてもありがたく、かつ幸運なことです。振り返ってみると私自身、人生の節目、
節目でそういう方々の力添えをい ただいてきました。


ところが、意外と多いのがいったん仕事が軌道に乗ると、かつてお世話になった人を、
わざと無視するタイプの人
です。自分がすっかり偉くなったと思い、恩人に挨拶するのが
悔しいのか、面倒なのか、気まずいのか・・・。
どうしてもそれができないのです。
しかし、 たとえ自分が偉くなったあとでも、かつての恩人に頭を下げることは、
決してその人の価値を下げることにはなりません。
むしろ逆です。


古い人間関係を大事にする義理がたい人ならば、周りの人も安心してつきあえるでしょう。
しかし、不義理な人はそれがわかっていないのです。
立場がかわるたびに、人間関係を切り捨てながら歩んでいる恩知らずな人は、人生において
相当損をしています。
そんな ふうにされたら、せっかく世話した側は失望し、
もう応援する気がなくなってしまいます。
また、周りの人もよく見ていま すから、平気で不義理をする人に対しては、警戒心を持つでしょう。


それとは逆にお世話になった人に会ったら、必ず自分からにこやかに「お世話になっています」と
挨拶できる人もいます。本人は損得勘定でやっているのではないでしょうが、礼儀を尽くされたら
誰だって悪い気はしません。
(これからも応援してあげよう)と思うのが人情ではありませんか。
一見些細なことのようですがこれはその後の人生に大きく跳ね返ってきます。
私自身そのことがわかったのは、ずっとあとのことでした。



親は同じことを口うるさくいってくれた


私の両親は明治生まれですから、躾にはことのほか厳しく、私はいろいろなことを
親から口うるさくいわれて育ちました。「返事は大きな声でせんとあかん」に始まり、
「靴の後ろ踏んで歩いたらあかん」「嘘ついたらあかん」「弱いものいじめしたらあかん」などなど。


若いころ、とりわけ自分の仕事が順調にいってるときは、正直なところ、恩を忘れては
いけないということを意識していませんでした。「あんたひとりが偉いんやない。周りの人のおかげやで。」
「あんたなあ、それを当たり前と思ったらあかんで」どんな小さなことに対しても
そういう気持ちを忘れたらいけない
と、常に言われました。字が上達したら、書道の先生のおかげ、
仕事に恵まれたら、周りの人のおか げ・・・。


ともあれ、かつてお世話になった人との長いつきあいはいいもの。
長い間、私のことを娘のように見守っていてくださる人がいるというのは嬉しいもの。
そして、私のほうはそういう方々を失望させないようないい仕事をしたいと思うことで、
またあらたな意欲を欠き立てているのです。
「恩を忘れない生き方をしていれば間違いはない」 。明治生まれの親の教えは
つくづくありがたいものです。


生まれたままではええ女になれない。ええ女になってや!



市田ひろみ著『ええ女の作法 四十四の極意』より

まとめ:e京都ねっと 小山


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