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山科義士祭り

* 山科義士まつり

*
 元禄15年(1702)12月15日、午前3時半ころ、
赤穂浪士が吉良邸に討ち入りしました。それから300年。

『山科義士まつり』は、大石内蔵助がお家再興の運動や
吉良上野介討ち入りを決意する間、
この地に隠棲した史実にちなんで大石内蔵助を偲んで
昭和49年から始められた祭りです。

討ち入り装束に身を固めた行列が、
47士の遺髪を納めた瑞光院で法要を行います。
 子供義士も加わり、山科区役所まで総勢300人がパレードします。
また道中に、討ち入りの様子を再現したパフォーマンスも行われます。

山科義士まつり公式ホームページはこちら
「忠臣蔵」に関する詳細は★「
京の歴史マップ・忠臣蔵」★
法住寺では「義士会法要」が行われます。★「
12/14日の京」★
*


行列のコース(小雨決行)
毘沙門堂
(10:00出発)
沿道を南下~瑞光院 ~旧東海道を西へ
(10:20頃)
ラクトB棟 大丸前着
子ども義士隊と合流
(10:40着、11:00発)
外環状線(11:20頃)
毘沙門堂から大石神社まで約6kmの道のりを練り歩きます。

東部文化会館
「連判状改め」など。
(11:45~12:35頃)

山科区役所(13:45頃)
新十条通りを西へ。隊士達が勝どきを上げます。
岩屋寺
(14:05到着)
大石神社
 
(14:30着~15:00解散)
「大石音頭」など。
*** 瑞光院(ずいこういん) ***
*
 浅野家の菩提寺・瑞光院。境内の奥には浅野内匠頭の墓と、
46士の遺髪塔、 内蔵助と義士達の墓碑が並んでいます。
遺髪塔は、大石らが切腹した後に、当時の住職が江戸に下って四十七士の遺髪をもらい受け、寺内に葬ったという言い伝えがあります。
なぜ46士かというと、討ち入り後に姿を消し生き延びた寺坂吉右衛門が
数に入っていないためなんです。


住所:山科区安朱堂ノ後町
拝観時間:10:00~16:00
拝観料:境内自由
アクセス:JR・地下鉄東西線・京阪京津線「山科」駅
お問い合わせ:075-581-3803

*** 岩屋寺(いわやでら) ***
*
 本堂には内蔵助念持仏の不動明王像(秘仏)、浅野内匠頭と
47士の位牌、収蔵庫には内蔵助の肖像画、手紙、秘密の金庫、
討ち入りの時に着た鎖襦袢、毘沙門堂には47士の木像が安置されています。
「椿寺」として知られており、12月14日には良雄らの遺品の公開も。境内には大石良雄の遺髪を埋めたとされる「遺髪塚」があります。

住所:京都市山科区西野山桜ノ馬場町96
拝観料:通常は400円(14日のみ300円)
拝観時間:9:00~17:00
アクセス:JR・地下鉄東西線・京阪京津線「山科」駅より京阪バス「大石神社前」
お問い合わせ:075-581-4052

*** 大石神社(おおいしじんじゃ) ***
*  内蔵助を祭神とする大石神社には、映画やドラマで大石内蔵助を演じた俳優さん達のパネル写真が並ぶ宝物館があります。安政2年に描かれた四十七士の屏風、隠棲した大石邸の丸瓦や欄間や義士達の人柄が偲ばれる書も展示されている。内蔵助の大きな絵馬がかかる拝殿と義商・天野屋利兵衛を奉る義人社への参拝もお忘れなく。
住所:京都市山科区西野山桜ノ馬場町116
拝観時間:9:00~16:00
宝物館拝観料:無料、境内自由
アクセス:JR・地下鉄東西線・京阪京津線「山科」駅より京阪バス「大石神社前」
お問い合わせ:075-581-5645

*** その他の関連スポット  ***

花山稲荷神社(かざんいなりじんじゃ)
大石良雄が山科に隠棲していた時に篤く崇敬しており、境内には、大石良雄献納の鳥居、断食石、血判石などが残されています。

アクセス:JR「山科」より京阪バス「花山稲荷」
お問い合わせ:075-581-0329

極楽寺 
大石神社や岩屋寺とも近く、大石良雄が施主となった寺で、浅野内匠頭の位牌を納めています。
鎖帷子や硯箱など、義士の遺品も数多く残っており、庭にある五輪の塔は遺髪塚と伝えられています。
※拝観時要連絡

アクセス:JR「山科」より京阪バス「大石神社前」
お問い合わせ:075-581-5347

■西方寺
小野寺一族の墓があります。小野寺十内、小野寺幸右衛門、岡野金右衛門、大高源五の墓は十内の妻・丹女が建てたもの。
普段は非公開ですが、12月14日のみ義士法要のため、午前中は公開されます。

アクセス:市バス206「東山仁王門」
お問い合わせ:075-771-3395

■泉涌寺来迎院 
大石良雄は外戚の来迎院長老に頼んで寺請証文を受け、山科に浪宅を構えました。
密議の場ともなった寄進の茶席「含翠軒」、遺愛の茶釜、肖像画などがあります。

アクセス:JR・京阪「東福寺」駅、市バス208「泉涌寺道」
お問い合わせ:075-561-8813

上善寺
本堂裏の墓地に二文字屋次郎左衛門の娘で良雄の愛人・おかる(本名おかじ)の墓があります。刻まれている法名は「清誉貞林法尼」です。

アクセス:市バス206「千本今出川」
お問い合わせ:075-461-5706

地蔵院 
「椿寺」として知られており、天野屋利兵衛の墓や木像、遺品の算盤が保存されています。12月14日には木像の見学ができます。

アクセス:市バス50・205「北野白梅町」
お問い合わせ:075-461-1263

安養寺/円山公園 
境内にあった子院「重阿弥」で赤穂浪士が円山会議を開いたと伝わりますが、明治後期に消失。安養寺の山号「慈円山」が円山公園の名称のもとになったといいます。

アクセス:市バス206「祇園」
お問い合わせ:075-561-5845

**関連リンク**
□e京都ねっと歴史散歩「忠臣蔵編」忠臣蔵にまつわる名所を案内。 

 

今さら聞けない『忠臣蔵』

・イジメを苦に浅野内匠頭長矩が吉良上野介義央に切りかかり、失敗、処罰される

江戸元禄の3月14日、嫌がらせを苦に江戸城松の廊下で指南役高家の吉良上野介義央(きらこうずけのすけよしひさ)切りかかった勅使接待役播州赤穂の城主浅野内匠頭長矩は、将軍の怒りに触れて逆に処罰されてしまいます。しかし吉良上野介義央の方には何の処罰もありませんでした。

・上司の悲報を受け、大石内蔵助良雄、城をあけ渡す

長矩は切腹させられ浅野家は断絶。赤穂城は没収。大石内蔵助良雄(おおいしくらのすけよしたか)はこれらの悲しい知らせを受け、その結果血を流すこと無く城をあけ渡す決断を下しました。この時内蔵助に従う者は僅か50余人でした。

・内蔵助、祇園の一力茶屋や島原で遊びほうけながら敵討ちを練る

内蔵助は浅野内匠頭長矩の敵討ちをするため、吉良上野介義央への復讐を心に誓います。赤穂を抜け出して山科の家に隠れ住み、江戸にいる同志と連絡を取りつつ、浅野家の再興に努めました。その際、吉良や上杉のスパイの目をくらまし、カモフラージュするため、遊びほうけたふりをしていました。

・吉良邸討入り

元禄15年12月14日の夜、大将大石内蔵助らは表門、裏門に分かれて討入りました。47士たちは屋敷のあちこちで敵・吉良上野介義央を探しながら吉良の家来たちと刃を交えます。とうとう炭小屋に隠れていた上野介を探し当て、討ちました。

・47士、引き揚げて泉岳寺で亡君に奉告

赤穂浪士は泉岳寺へ向かい、上野介の首を冷光院殿(亡き浅野内匠頭長矩)の墓前に供え、敵討ちが終わったことを奉告しました。

・切腹し、果てる赤穂浪士たち

47士たちは細川・松平(久松)・毛利・水野の四家へお預けとなり、元禄16年2月4日幕府の命により切腹。彼らは長矩の眠る泉岳寺へと葬られました。


**関連リンク**

□e京都ねっと歴史散歩「忠臣蔵編」:忠臣蔵にまつわる名所を案内。 

 

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