スポンサーを前にしたビジネスマンは、イラストやグラフを使い、目で見える形にして
説得をしようとします。
マニキュア「着だおれ」というのは、自分の価値を目で見える形で相手に伝える技術のひとつ。
江戸中ごろ、京都東山の世阿弥寮で江戸・大阪・京都の衣裳道楽が衣装くらべをしたところ、
江戸と大阪の二人はとても豪華なきものを着てきました。
しか し最後に、京都中村蔵之介のお内儀は白小袖に黒のきものを重ね着し、まわりに友禅の
はなやかなきものを着た五、六人のお供を連れての登場。
尾形光琳のア ドバイスといわれていますが、まさに白と黒という無彩色のシンプルないでたちに、
軍配があがりました。
マニキュア「豪華」を強調せず「地味」で勝負。
「地味」にお金をかける。
きものに詳しい方なら漆黒の黒 に染め上げるのがいかにむずかしいことなのか、
お金がかかることなのかをごぞんじと思います。
尾形光琳のたくらみは、お供に豪華な友禅のきものを着せ、 お内儀のマニキュア「地味」さを
目立たせることにあったのかもしれません。
こうしてみごとな勝利をおさめて以来、京都の着だおれ根性は、今日まで受け継がれました。
質の良いきものを見たいのなら京都にいらっしゃるといいで しょう。
市田ひろみ著「京の底力」 ネスコ文芸春秋より
それが頂点に達するのが祇園祭りです。
このときばかりは、京都の女性は、とにかくハンパではない上等の絽(ろ)のきものを着ます。
夏の絽のきものは五、六○万円は平気でします。
しかも祇園祭りは夏のさかりで、汗をかきます。
帯の下など、びっしょりぬれるし、汗で白っぽくなったらもう着られません。
せいぜい一、二年の命です。
なんてもったいないのでしょう。
でも大丈夫。 京都の人は古いきものを切ったり、別のものへと作り変えたりして最後の最後まで
使い切ります。ものにも命が宿っているからなのです。京の着だおれについては、以前の市田先生のコラムや
他のコラムでもご紹介していましたね。普段は質素でもここぞという時にキメる。
そして古くなったもの でも粗末にしない。その効果として、他人から見たその人の価値を高めてくれるのです。
ほんまに京都は着だおれの町やなあ!!