八月十六日、五山の送り火の時、もしあなたが「今日は大文字焼きの日ですね」と、
言ったとしたら、あなたは京都人でないことがバレバレです。
京都の人は「今日は大文字さんの日どすなぁ」というような表現はしても、”大文字焼き”とはいわない。「何とか焼き、やなんて、まるで饅頭みたいにいわんといて」なのである。
京都の人、とくに五山の送り火を支えている関係者にとっては、この行事、厳正な宗教行事。
軽軽しく扱われることに対しての、拒否反応は厳しい。こんなことを覚えている人はいませんか。
昭和四十七年の秋も深まった十月三十日の夜、突然、大文字の火が点ったのです。
みんなびっくりしました。
「何で今ごろ大文字さんなんや」
騒然となりました。大文字保存会の人などは、「神聖な宗教行事を冒涜した」とカンカンに怒りました。
この”事件”を取材した新聞記者から、話を聞いたことがあります。
地元紙の記者だった彼が、夜勤をしていた時にかかってきた電話が発端だったそう。
彼は一九七〇(昭和四十五)年前後に、全国で吹き荒れていた学園紛争を取材していた際、
ノンセクトラジカルといわれたグループの学生たちに知り合いが出来ていた。
そのグループの一員から「銀閣寺近くのいっぱい呑み屋に集まってくる学生たちで、
大文字に火をつけようやないか、という話が盛り上がって、今夜遅く、
みんなで懐中電灯を持って大文字に登山、一斉に懐中電灯を照らして”大文字”を再現するんや」という話。
彼は慌てたそう。
六月ごろから話が持ち上がり、参加者を募ったところ、周辺に下宿するこの呑み屋の常連の京都大、
同志社大、立命館大などの学生七十人ほどが参加することになったという。
「特ダネや」。写真部員を伴い、今出川通と白川通の交差点東側にある疎水の橋の上にカメラを据えて、
午後九時過ぎから約二十五分間、本物の三分の二ほどの小ささとなった「大文字の送り火」の撮影に成功。
これが、時ならぬ、秋の大文字送り火の真相だそうだ。