本堂
「起り反り(むくりそり)」と呼ばれる檜皮葺の屋根は、上は凸型、下は凹型の曲線を描きます。
約50年ごとに葺き替えられています。
[スキマ情報]
清水の舞台を通り過ぎ、地主神社が視界の左手に入る頃の階段のところで本堂の壁を振り返ると、深い溝がたくさん刻まれています。
まるで爪跡のように本堂を一周しています。
これは電灯が無かった昔に夜な夜な清水寺へ「お百度参り」をした人々が、
暗い夜道を壁を辿って歩いた跡なのです。清水寺への厚い信仰心が伺えますね。
「同じ事を繰り返し続ける」という意味の「堂々めぐり」という言葉は、「お堂の周囲を何度も回る」ことからが生まれたのだそうです。
清水の舞台(国宝)
京都市街を見渡す眺望が人気で、清水寺の顔とも言えるスポット。
檜板張り、柱は欅(ケヤキ)で高さ約13メートル、幅約18m、奥行き約10m。
平安後期の12世紀初めには、懸造(かけづくり。
一部分を張り出した造り)の舞台になっていました。
思い切って物事を決断する様を表す言葉「清水の舞台から飛び降りる」は有名で、
実際に飛び降りた人も多数に上ると言います(真似してはいけません!)。
[スキマ情報]
清水寺の七不思議⑦清水の舞台(樹齢400年を越すケヤキの大木が、長短48本に貫(ぬき)を通しただけで、
釘を使わずに組み立てられている)それなのに、地震が起きても崩れていないのが驚異的です!
「舞台」という名の通り、御開帳などの特別な法会の際には、この清水の舞台で能や狂言、
雅楽等を奉納します。両袖の翼廊は楽舎です。
舞台からの眺望は、実に絶景。
なぜせり出した舞台ができたのか?
観音信仰が人気を呼び、多くの人が清水寺に押し寄せてくるようになったから。
平安時代より参詣者の増加と共に拡張し、中空にせり出す程に。
清水の舞台から人が飛び降りるようになったのはいつ頃から?
江戸時代頃からと言われています。
「飛び落ち」と言われ、何日も続けて本堂の観音様に願掛け詣りを繰り返し、
満願の日に命を託すつもりで清水の舞台から飛び降り、助かれば願いが成就、
死んでしまったとしても極楽に行けると信じて、多い年では7人が飛んだといいます。
なお、助かった人は8割以上とのこと。
飛び降りを禁止するため、明治5(1872)年に京都府が竹矢来を設置しました。
2005年に清水寺で行われたイベントで、
「クリスチャン・ディオール2005秋冬コレクション」が清水の舞台で行われました。
舞台の脚組と光を受けて輝く紅葉も良い被写体になります。
斜光が望める午前中の光線を利用しましょう!
礼堂
内々陣に祀られている秘仏の本尊に向かって礼拝する場所。
外陣ともいいます。
大きな柱はケヤキの木でできています。
本尊御正体
礼堂正面の奥の欄間に懸かっています。
御正体とは懸仏(かけほとけ)のこと。
本堂に三つあるうち、秘仏の本尊を象ったもので、直径は2mあります。
雷神像・風神像
雷神は須弥壇(しゅみだん)に向かって右、脇侍(きょうじ)の毘沙門天像が納まる厨子の傍らに立っています。
風神は左端の地蔵菩薩の厨子の外側。共に天候・気象を司り、風神は青肌、雷神は赤肌をしています。
御本尊御前立
本尊・十一面千手千眼観世音菩薩立像は、内々陣の厨子(国宝)に納められている秘仏であるため、
同じ形の像(御前立)がその前に安置されています。
十一面(様々な顔・姿)で、私達の苦しみや悩みを観察・同情し、先手(あの手この手、
あらゆる無数の手)で救って下さるという御利益があります。
一般の四十二臂千手観音像とは違い「清水型」観音と呼ばれる清水寺独特の姿をしています。
最上部の左右の肘を頭上より高く上げて小如来像を捧げ持ち、格別の観音力を表現しています。
[スキマ情報]
西国巡礼中興の祖・花山法皇の一千年御遠忌を迎えるに当たり、清水寺をはじめ
西国三十三所全札所の全寺院が三年間にわたって御開帳(平成20年9月1日~平成22年5月31日)を開催しています。
※清水寺の御本尊の御開帳は平成21年5月31日で終了しました。次の御開帳は24年後だそうです。
十一面は、菩薩の修行の最終の第41~50の十地の階位を登り、
仏位に達するまでの修道を表現していると言われています。
ゆえに、最上にあるのが「如来相(仏面)」です。
千手の形(印相・いんぞう)やそれが持っている物には、それぞれ御利益があります。
例えば向かって右上の、呼び鈴を持っているような手は、「宝鐸手」といい、「妙なる音声を身に付ける」という功徳、
向かって左、斧の下方にある瓶を持ったような手は「胡瓶手」といい、「家内和合、親族融和」の功徳があるそうです。
また、合掌は「一切衆生が諸仏・菩薩と共に互いにに尊敬・信頼しあうために」、
宝鉢を持った手は「托鉢物を分け合い、食・衣をまかなうために」という意味があるそうです。
千手観音の脇侍(わきじ)は、通常は吉祥天と婆薮仙人(ばすせんにん)ですが、
清水寺の場合は、地蔵菩薩・毘沙門天です。
これは、坂上田村麻呂が征夷大将軍として蝦夷征討で苦戦した際に、
清水寺住職の延鎮上人が、地蔵・毘沙門の両像を造り戦勝を祈誓したため、
本尊の千手観音が両尊を戦場に派遣し、田村将軍を応援、勝利する事ができたという縁起によります。
二十八部衆
内々陣の厨子の左右に分かれて並ぶ28体の仏。
御前立の左右に立ち、本尊を守護する眷族(けんぞく。従者)です。
全て桧材の寄木造り・彩色像です。
本堂内陣を観るなら、「千日詣り」の期間中に訪れましょう。
[スキマ情報]
二十八部衆像は、応仁の乱や災火などで度々損傷・焼失しましたが、
その都度、三十三間堂の二十八部衆をモデルに修復・再造されています。
鉄錫杖・高下駄
本堂の西側にあります。
山伏が修行に用いた錫杖と高下駄を、大型の鉄製にしたもの。
[スキマ情報]
錫杖の重さは90㎏を越えるといい、力試しとして人気なのだそうです。
大黒天像
本堂の西側にあります。こちらにも御利益を願って手を合わせる人の姿が多くみられます。
その黒光りする笑顔は夜間拝観時に見るとドキッとするかも!?
地主神社(重文)
音羽の滝
この音羽の滝の水を飲む事で清水寺の観音と縁が結ばれ御利益があるといい多くの人が列を成して
音羽の滝の水を柄杓で受ける姿が見られます。
流れる出る清水が寺名の由来で、一度も枯れた事が無いそうです。
3本の筧から「金色水」「延命水」という滝水が流れ落ちています。
奈良~平安時代の僧・延鎮上人が金色の水の霊夢に導かれて辿り着いた滝なのだそう。
古来清めの水として尊ばれ、開祖・行叡居士・開山延鎮上人他の滝行の場であり、
お茶の水汲み場でもありました。
[スキマ情報]
それぞれの水に御利益があり、欲張って全ての水を飲むと、効果が無くなってしまうという噂があります。
☆滝祠に祀られているのは不動明王や行叡居士です。
今でもこれらの像を拝み、水垢離の行をする信者がいるそうです。
音羽の滝の水は日本十大名水の筆頭で、所願成就の祈願水「音羽霊水」として、
1本500円で授与されています。
列に並ぶ時間が無い人は、これを持ち帰って家族で分け合うのもいいかも!?