江戸時代初期の筝曲演奏家、作曲家で八橋流の創始者「八橋検校」(やつはしけんぎょう)が多くの高弟・門弟たちに見守られて
その生涯を黒谷金戒光明寺で閉じまし た。その後もたくさんの門弟が墓参に訪れ、その参道にある聖護院の茶店で琴の形に似せた
干菓子を売り出したという説があります。また、綾小路烏丸付近に住 んでいた八橋検校が近くの茶店に作らせた堅焼煎餅を
祇園の茶店が再現したとも言われています。
また、聖護院を鎮守する熊野神社には「八ツ橋発祥之地」と書かれた石碑があり、聖護院の八つ橋屋に生まれ八ツ橋八つ橋の
発展に寄与した西尾為治の銅像があります。また1824(文政7)年に十代目為次郎が絵馬を熊野神社に奉納した記録が残されています。