支配者というものはいつの世でも不安定ですから、被支配者に対して自分に従うかどうか
確認したがるものです。だから「自分の立場を明確にしろ」という思考は支配者にとって
都合の良いことだったのです。
京都人はつねに秤のうえでどっちが重いかを量りながら、ようやく生き延びてきました。
いくたびもの戦乱と侵略の舞台 となった京都では、いちいち旗幟鮮明にしていては、
やっていけなかったのです。敵を作らないように立ち回ること、つまりファジーこそが
賢明な考え方だったのです。
市田ひろみ著「京の底力」 ネスコ文芸春秋より
私自身も「敵を作りたくない」タイプの人間です。
それは私の両親、私共々生まれも育ちも京都という、生粋の京都人だからなのでしょうか。
人の好き嫌いがあっても、そんなにあらわにする事は余りありません。(社会生活をしていれば、
ほとんどの人がそうかもしれませんが)「苦手な人」・「ちょっと合わない人」と
自分の中でもワンクッション置いた捉え方をし、「嫌いな人」はほとんどいません。
まるく収めるたちなのです。
一つの物事に対して、いろんな角度から見た、いろんな考え方がある、だからどちらが正しいか
なんて一概に決められない、 という場合がありますね。
「間」を取る日本人の特徴が現れているのでしょうか。
その姿勢が正しいかどうかは分かりませんが、自分が社会に生き延びていくための方法を
京都の人々は本能的に使ってきたのでしょう。