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在原業平の足跡を訪ねて 市内の史蹟

大原や 小塩の山も けふこそは

神世のことも 思出づらめ

京の山里大原野を離れて、洛中へ。
業平の邸宅跡を始め、業平を祀る岩本社、吉田山山頂の業平のもうひとつの墓など、
洛中に点在する業平の史蹟を訪ねてみた。



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~市内編~

業平コース
地図

クリックすると拡大地図になります。
上賀茂御薗橋バス停
  ↓(徒歩5分)
上賀茂神社内岩本社
  ↓(徒歩4分)
蕎麦房 末広
  ↓(徒歩12分)
地下鉄北山駅
  ↓(地下鉄烏丸線10分)
烏丸今出川
  ↓(市バス203/15分)
銀閣寺道バス停
  ↓(徒歩15分)
業平塚
 
 ↓(徒歩15分)
東一条バス停
  ↓(市バス206/10分)
東山安井バス停
  ↓(徒歩5分)
恵比寿神社内岩本稲荷
  ↓(徒歩15分)
地下鉄東山駅
  ↓(地下鉄東西線7分)
地下鉄烏丸御池駅
  ↓(徒歩3分)
在原業平邸跡
  ↓(徒歩3分)
地下鉄烏丸御池駅

上賀茂神社内 岩本社(かみがもじんじゃない いわもとしゃ)~業平を祀る~

京都駅前から市バス9号系統で約35分。上賀茂御薗橋バス停からスタート。
賀茂川にかかる御薗橋を渡ると葵祭の終点として有名な上賀茂神社にたどり着く。
新緑の眩しい境内は清浄な雰囲気に満ちている。

境内の一角に『徒然草』に業平を祀ると記されている岩本社がある。・・・とはいえ、
境内は広く、小社も多いので、なかなか見つからない。
神社の方に尋ねてみると、御手洗川を渡ってかなり奥、
昼なお暗い木立に囲まれた岩の上に岩本社はひっそりと鎮座していた。
説明板を読むと祭神は花筒男神、中筒男神、表筒男神の三柱。
海上安全守護の神だそうだ。はて?業平とどう関連があるのだろう?
境内を巡っていると神馬堂の近く(御手洗川の裏)に橋本社という小社があって、
こちらは和歌の神様で、業平と関係がありそうだ。

家に帰って『徒然草』第67段を読んでみると、
吉田兼好の生きた鎌倉末期から業平を祀る岩本社と藤原実方(平安時代の歌人)を祀る
橋本社が混同されがちだったそうだ。

月をめで 花をながめし いにしえの やさしき人は ここに在原

慈円和尚も上賀茂の岩本社の前でこのような歌を詠んでいる。
「やさしき人」という言葉が女は勿論、惟高親王ら男の親友にも優しかった、
業平を端的に言い表しているような気がする。
いつの時代にも、風流人・業平は憧れの的だったのだろう。

住所:北区上賀茂本山
境内自由
業平を祀ると「徒然草」に記された岩本社。 業平を祀ったと混同されたという橋本社は和歌の神様。
業平を祀ると「徒然草」に記された岩本社。 業平を祀ったと混同されたという橋本社は和歌の神様。

★食べる★蕎麦房 末広(そばぼう すえひろ)~しょうゆ味の冷やし中華そばがおすすめ~

上賀茂神社の一の鳥居を出て西へ四筋目。
大楠の角を南へ折れると「そばは亀々 うどんは鶴々」というユニークな看板を
かかげるお蕎麦屋さん・蕎麦房 末広があった。

うどん、そば、丼物も美味しそうだが、暑い日のおすすめメニュー
「冷やし中華そば」¥650-(醤油味、甘くありません。)の注意書きに妙に魅かれた。
出てきたのは氷と野菜とメンマと支那竹がたっぷり入った冷やし麺。
なるほど、冷やし中華の甘酸っぱさが全くない、醤油味のさっぱりとした味付けだ。
この爽やかさはこれからの暑い季節にぴったりだろう。

末広のご主人は大の歴史好きで上賀茂界隈の史蹟を写真や地図を使って説明して下さった。
お食事をしたお客様は希望すれば上賀茂一帯の史蹟マップをいただける。
上賀茂神社だけでなく、付近の社家や寺跡や銭湯跡まで詳細に書かれた地図は
散策に役立つこと間違いなし。

美味しいおそばをすすりながら、ご主人と歴史談義をするのも又一興。

住所:北区上賀茂南大路町21
TEL:075-781-1726
営業時間:11:00~18:00
定休日:毎週木曜日・第4金曜日
夏は冷やし中華そばがおすすめ。しょうゆ味でさっぱりしている ユニークなコピーの看板が目印
夏は冷やし中華そばがおすすめ。しょうゆ味でさっぱりしている ユニークなコピーの看板が目印

業平塚(なりひらづか)~吉田山の山頂にもあった業平の墓~

業平は880年、大原野の十輪寺で56歳の生涯を終えたが、
吉田山の奥に葬るように遺言したとも伝えられている。
江戸時『暁筆記』という江戸時代の書物には「(業平を)東山の吉田の奥に納めて廟を作る」
という記述があるそうだ。現在でも吉田山の山頂近くの竹中稲荷神社の北側に、
業平塚があると「時代別京都を歩く」(蔵田敏明著)をいう本で知り、訪ねてみることにした。

バスを銀閣寺道で降り、吉田神社の東参道から吉田山に登る。
鳥居がずらりと並ぶ参道を登りきると竹中稲荷神社と天満宮が並んで建っていた。
竹中神社の説明版には「古記に在原業平の居を神楽岡の稲荷神社の傍らに卜す云々とある」
と書いてあったが、業平の墓を移したという意味なのだろうか?

しかし、肝心の業平塚が見当たらない。
参詣に来ていたご婦人に伺っても「さあ、業平塚?知らないねえ。」と言われてしまった。
自力で探すしかない。竹中神社の裏手には白滝大明神、
杉衣大明神など数々の神を祭った石碑があり、一種異様な雰囲気をかもし出している。
しばらく探していると石柱に囲まれた中に五輪塔の頭だけと大きめな石が何個か置いてあり、
その石に挟まれて「業平塚」という質素な立て札が立っていた。え、こんなに小さくて質素なの?
と驚くくらいの塚だ。「廟」などとはお世辞にも言えない。おまけにゴミまで落ちていた。
平安のプレーボーイのお墓がこのザマかと思うと、業平があまりにもかわいそうになり、
落ちていたゴミを拾って帰った。

大原野の十輪寺にも質素な宝篋院塔の墓があったが、業平の墓は何でこんなに質素なのだろう?
絶世の美男が泣いてしまうゾ(;;)業平の冥福を祈るためにもせめてゴミだけは落とさないでね。

住所:左京区吉田山山上竹田稲荷北側
拝観自由
えっこんなに小さいの?業平が可愛そうになるくらい粗末な業平塚 吉田山山上の竹中稲荷神社。この裏に業平塚がある
えっこんなに小さいの?業平が可愛そうになるくらい粗末な業平塚 吉田山山上の竹中稲荷神社。この裏に業平塚がある

恵比寿神社内 岩本稲荷神社(えびすじんじゃない いわもといなりじんじゃ)~業平像がご神体?~

十日ゑびすで有名な「ゑべっさん」こと恵比寿神社。境内の奥の末社の一つに岩本稲荷神社がある。
おキツネ様が飾られた外見は、一見普通のお稲荷さん。
しかし、この岩本社のご神体は阿仏尼の作と伝えられる在原業平像だそうだ。(『坊目志』)

岩本社は和歌の神様だそうだから、鎌倉の女流歌人・阿仏尼作の平安の歌詠み・業平像が
祀られていたとしてもおかしくない。今はお稲荷さんに姿を変えているが、社の中には、
業平の魂が宿っているのかもしれない・・・。

住所:東山区大和大路通松原上ル
境内自由
業平像がご神体だと言われる岩本稲荷神社
業平像がご神体だと言われる岩本稲荷神社

在原業平邸跡(ありわらのなりひらていあと)~オフィス街の業平邸跡碑~

京都一のオフィス街・烏丸御池交差点から東へ三筋。
御池通間之町南東角の吉忠ビルの脇に在原業平邸跡の石碑がひっそりと建っている。

平安時代、この通りの界隈には、高陽院・高倉殿・花山院・大炊内裏など貴族の邸宅や
臨時の内裏が並んでいた。在原業平邸もその一つであった。

業平というと政治的には不遇だったと思われているが、さすが皇族の血筋だけあって、
一等地に住んでいたようだ。現在はオフィス街、平安の昔も貴族の邸宅の立ち並ぶ一等地。
そんなところに業平は邸宅を構え、大原野十輪寺に隠棲するまでの年月を、歌を詠み、
恋をして、優雅に暮らしていたようだ。

住所:中京区御池通間之町東南角
吉忠ビルの片隅に建つ業平邸跡碑
吉忠ビルの片隅に建つ業平邸跡碑

洛中に点在する業平の史蹟は、目立たないところにひっそりと建っている。しかし、和歌の神としての業平は、人々の心の奥にしっかりと根付いて、今に伝えられているのだった・・・。

(さんぽ/渡辺 芭雨)

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※このページの掲載情報は、取材時のものであり、現在のもの、歴史上の事実とは異なる場合がございますので、ご了承下さい。参考としてご覧頂きますようお願い申し上げます。

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