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菅原道真の足跡を訪ねて 七条~御所

東風吹かば にほひをこせよ梅の花
主なしとて 春を忘るな


平安時代前期の学者・文人・政治家だった菅原道真宇多天皇に 重用され、
遣唐使廃止を提案したが、天皇譲位後、ライバル・藤原時平に 無実の罪を着せられ
大宰府に左遷された。

出発前に自宅の庭の梅の木に上のような歌を詠みかけると梅の木は道真を慕って
大宰府へ飛んで行ったという・・・。

死後、天変地異や早世する者が相次ぎ、怨霊として恐れられ、
天満宮に祀られるようになったが、後には学問の神様として庶民の信仰を集めるようになった。

来年の道真薨去1100年に向けて活気づく市内の天満宮を中心に、
道真ゆかりの史跡を巡ってみた。

 

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~七条~御所~

菅原道真コース
 


 クリックすると拡大地図になります。
【道真モデルコース1】

京阪七条駅
  ↓(徒歩7分)
文子天満宮
  ↓(徒歩15分)
菅大臣神社
  ↓(徒歩すぐ)
北菅大臣神社
地下鉄四条
  ↓(烏丸線4分)
地下鉄丸太町
  ↓(徒歩3分)
菅原院天満宮
  ↓(徒歩3分)
京都御所
  ↓(徒歩5分)
北野~吉祥院編へ


文子天満宮(あやこてんまんぐう)~道真腰掛石~

博物館から大和大路通りを東へ行くと、渉成園の裏側に「文子天満宮」と案内板が出ている。「こんな所にも天満宮があったのか!」と案内を辿っていくと小さな神社に行き着いた。

道真の死後約40年後の942年、西京七条二坊に住む多治比文子(道真の乳母説と童女説がある)の夢枕に道真が建ち、北野の右近馬場に祀るよう命じる。
しかし、文子の家は貧しく、代わりに自分の家の庭の隅に祠を建て、道真を祀った。
これが今の文子天満宮である。

門前には「天神信仰発祥の神社」という真新しい石碑が建っている。なるほど、
北野天満宮より前に道真を祀ったという意味では「発祥の地」とも言えるだろう。
境内の北西には「北野天満宮遥拝所」と彫られた石碑と「道真腰掛石」という案内板が
立てられた石があった。石には小銭が沢山載っている。
道真は大宰府に流される途中、ここに立ち寄り、この石に腰掛けたそうだ。
遥拝所の方は、多治比文子一族は右近馬場のある北野天満宮の方を向いて拝んだところだろうか?

伝説に彩られた神社の前にはいつしか外人さんの団体が集まり、「日本のスタンダードな大きさの神社です。」と説明されていたのが印象的だった。

住所:下京区間之町通新花屋町下ル天神町400
境内自由

文子天満宮から北西に歩いて15分。
西洞院・高辻・新町・仏光寺通に囲まれた一角にあるのが、菅原道真邸宅跡に建てられた菅大臣神社。西洞院側から入ると、ビルとビルの間に挟まれるように石の鳥居が建てられ、境内の一角は駐車場になっている。参道を進むと桜や梅の花吹雪で少しずつ風情が増してくる。

本殿の前には飛梅がある。道真が大宰府に左遷される前に「東風吹かば、匂い起こせよ梅の花・・・。」と自宅の庭の梅の花に歌を詠みかけた。
すると梅は道真を慕って一夜のうちに大宰府に飛んで行ったという。
有名な飛梅の伝説である。「飛梅」は2月末~3月にかけて白い花をつける。
大宰府へ飛んで行ったはずの梅が京都に残っているのは不思議だが、道真を慕う人々の手で邸宅跡に植えられたのだろう。
また、説明板によると、道真産湯の井戸(菅原院天満宮にもあり)が境内にあるそうだ。

社殿自体は道真没後に作られたそうだが、何度火災で焼失。
現在の本殿は明治2年に下鴨神社から移築された三間社流造のもの。

仏光寺通に面した北門には「天満宮降誕の地」「菅家邸址」の石碑が。
邸宅跡でしばし道真を偲ぼう。

住所:下京区仏光寺通新町新町西入ル菅大臣町
境内自由

多治比文子が神託を受け、
この地に立てた文子天満宮

境内の道真腰掛石

菅原家の邸宅跡に
建てられた菅大臣神社

大宰府まで一夜で
飛んで行った「飛梅」

北菅大臣神社(きたかんだいじんじんじゃ)~道真の父を祀る~

菅大臣神社の北門から出ると『菅家邸址』の石碑が鳥居の横と道を挟んだ
向かいの民家の脇に建っている。民家脇の石碑の下には小さい字で
「紅梅殿」とも書いてある。
民家脇の道を30mほど北に行くと、民家に挟まれて鳥居と小さな社殿がある。
額には「紅梅殿」とある。ここが道真の父是善(これよし)を祀る北菅大臣神社

この辺りに菅原家の私塾「菅家廊下」や道真の書斎「山陰亭」があり、
後、紅梅殿と呼ばれるようになったという。
道真が有名な「東風吹かば、匂い起こせよ梅の花・・・。」が詠まれたのもこの辺り。

重要な場所であるにも関わらず、北菅大臣神社には境内がなく民家に囲まれて
ついつい見逃してしまいそう。必ず菅大臣神社の北門から出て
菅家邸址の石碑と北菅大臣神社もお見逃しなく。

住所:下京区仏光寺通新町西入菅大臣町
拝観自由

菅家邸跡碑から
北菅大臣神社を臨む

住宅に挟まれた北菅大臣神社。
道真の父を祀る

菅原院天満宮(すがわらいんてんまんぐう)~道真生誕の地~

四条駅から地下鉄で2駅。丸太町駅で降りて烏丸通を北へ3分。
「菅家邸址」の石碑が門前に建つ菅原院天満宮に到着。
道真の曽祖父・古人から4代に渡る菅原氏の邸宅跡に建てられた神社だ。
845年、道真が産声を上げたと言われるのもここで、境内には産湯の井戸が残っている。

鳥居をくぐってすぐに比較的新しい井戸があるが、新しすぎる。
しばらく探すと社務所の庭の中に「菅公御産湯の井」という石碑と共に屋根のついた井戸があった。
先ほどの井戸よりは古そうだが、平安時代のものにはとても見えない。
本殿横には「天満宮御遺愛の灯籠」の石碑と共に、石灯籠が。こちらもかなり新しそうだ。
歴史上の人物ゆかりの井戸や石造物には比較的新しいものが多い。
その人物を慕うあまりに近年できた井戸などを「産湯の井戸」などに見立てて祀っているのだろう。

境内には他にもガン封じにご利益があるという「梅丸大神」、天満宮にはつきものの(道真の遺体を運んだのが牛車だった・又は道真が牛年生まれだったから?)、合格祈願の絵馬も祀られていた。
苦しい時の神頼み。「試験合格の秘法あります。」「新生児の命名」「会社商店の事業運」などの運勢判断もして下さるそうだ。道真生誕の地は現在は何でもありの天満宮になっている。

住所:上京区烏丸通下立売下る堀松町406
境内自由

公遺愛の灯籠(左)
菅家邸址碑(右)
 

菅公産湯の井戸

京都御所(きょうとごしょ)~道真の怨霊の雷が落ちる~

菅原院天満宮の東隣に広大な京都御苑がある。蛤御門から入って少し東に行くと、京都御所。一般には春・秋の二回しか公開されず、普段は門の外から面影を偲ぶだけだ。

道真の死後旱魃や落雷など天災が相次ぎ、道真の怨霊と恐れられた。
特に西暦930年の清凉殿への落雷は有名で三善清行らが死亡。
この事件をきっかけにますます雷は道真の化身と恐れられるようになった。
当時の清凉殿は今の御所とは場所が違うが、道真が雷となって落ちたとされる
清凉殿を御所の一般公開の日に参観して見てみるのもいいだろう。

住所:上京区京都御苑内
一般公開期間:春・秋各5日間ずつ。
(この時期以外は宮内庁京都事務局参観係075-212-1215へ要問い合わせ)

道真の怨霊の雷が御所の
清凉殿に落ちた

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※このページの掲載情報は、取材時のものであり、現在のもの、歴史上の事実とは異なる場合がございますので、ご了承下さい。参考としてご覧頂きますようお願い申し上げます。


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