博物館から大和大路通りを東へ行くと、渉成園の裏側に「文子天満宮」と案内板が出ている。「こんな所にも天満宮があったのか!」と案内を辿っていくと小さな神社に行き着いた。 道真の死後約40年後の942年、西京七条二坊に住む多治比文子(道真の乳母説と童女説がある)の夢枕に道真が建ち、北野の右近馬場に祀るよう命じる。 しかし、文子の家は貧しく、代わりに自分の家の庭の隅に祠を建て、道真を祀った。 これが今の文子天満宮である。 門前には「天神信仰発祥の神社」という真新しい石碑が建っている。なるほど、 北野天満宮より前に道真を祀ったという意味では「発祥の地」とも言えるだろう。 境内の北西には「北野天満宮遥拝所」と彫られた石碑と「道真腰掛石」という案内板が 立てられた石があった。石には小銭が沢山載っている。 道真は大宰府に流される途中、ここに立ち寄り、この石に腰掛けたそうだ。 遥拝所の方は、多治比文子一族は右近馬場のある北野天満宮の方を向いて拝んだところだろうか? 伝説に彩られた神社の前にはいつしか外人さんの団体が集まり、「日本のスタンダードな大きさの神社です。」と説明されていたのが印象的だった。 住所:下京区間之町通新花屋町下ル天神町400 境内自由 文子天満宮から北西に歩いて15分。 西洞院・高辻・新町・仏光寺通に囲まれた一角にあるのが、菅原道真邸宅跡に建てられた菅大臣神社。西洞院側から入ると、ビルとビルの間に挟まれるように石の鳥居が建てられ、境内の一角は駐車場になっている。参道を進むと桜や梅の花吹雪で少しずつ風情が増してくる。 本殿の前には飛梅がある。道真が大宰府に左遷される前に「東風吹かば、匂い起こせよ梅の花・・・。」と自宅の庭の梅の花に歌を詠みかけた。 すると梅は道真を慕って一夜のうちに大宰府に飛んで行ったという。 有名な飛梅の伝説である。「飛梅」は2月末~3月にかけて白い花をつける。 大宰府へ飛んで行ったはずの梅が京都に残っているのは不思議だが、道真を慕う人々の手で邸宅跡に植えられたのだろう。 また、説明板によると、道真産湯の井戸(菅原院天満宮にもあり)が境内にあるそうだ。 社殿自体は道真没後に作られたそうだが、何度火災で焼失。 現在の本殿は明治2年に下鴨神社から移築された三間社流造のもの。 仏光寺通に面した北門には「天満宮降誕の地」と「菅家邸址」の石碑が。 邸宅跡でしばし道真を偲ぼう。 住所:下京区仏光寺通新町新町西入ル菅大臣町 境内自由 |
多治比文子が神託を受け、 この地に立てた文子天満宮 |
境内の道真腰掛石 |
|
菅原家の邸宅跡に 建てられた菅大臣神社 |
|
大宰府まで一夜で 飛んで行った「飛梅」 |