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新緑を歩くコース(2) 大原&八瀬を歩く編

鯖街道が通る山間の集落・大原と八瀬

京の北東、「鯖街道」の一つとして知られる若狭街道が通る大原と八瀬は、
春は桜、秋は紅葉が美しい、風光明媚な山間の集落です。

地名の由来

大原は、平安初期の僧・円仁がこの地を根本道場として魚山大原(たいげん)寺を建立した事から、
八瀬は、瀬が多い高野川上流のこの流域の地形から、それぞれの地名がついたといいます。

八瀬の黒木売、大原の柴うり

大原と八瀬は、かつて薪炭の生産が主な産業で、
その炭や薪を頭に乗せて京の町へ行商に行っていたのが「大原女(おはらめ)」でした。
その様子は、江戸時代の書物に、「八瀬の黒木売、大原の柴うり」として描かれ、
織田信長も八瀬童子の薪商売ほかの権利を認める安堵状を出しています。

小原女の衣装は、前掛けが二巾半(ふたはばはん)、手甲を付け、
正装の時は「きりくずし」の着物に御所染めの帯を締めます。
四隅に絹糸の房が付き、古今の名歌や優雅な図案を刺繍した「縫いのてぬぐい」を頭に被ります。

今となっては小原女の姿を見る事はありませんが、
大原では、前日までの予約で小原女に変身する事ができます。

大原観光保勝会(075-744-2148)

大原・八瀬共に宿泊施設があり、八瀬からはケーブルやロープウェイで比叡山へと足を伸ばす事もできます。
新緑の季節の他にも夏は避暑地として、秋は紅葉を求めておでかけするのもおすすめです。

八瀬の歩き方

坂道と車の往来が多い八瀬

叡山電鉄「八瀬比叡山口」駅、または京都バス「八瀬駅前」から出発し、
駅周りの瑠璃光院や御蔭神社だけのショートコースで観光するという手もありますが、
赦免地踊りでお馴染みの秋元神社まで足を伸ばす場合は、上り坂をバス停数駅分も登らなくてはなりません。
徒歩で八瀬巡りをしたい方は、もう少し先の京都バス「ふるさと前」辺りから出発し、
坂道を下りながら散策する方法がおすすめです。

時刻表・拝観時間のチェックは必須!

八瀬方面・周辺の公共交通機関は、街中よりも本数が少ないので、
利用する交通機関の時刻表をプリントアウトするなり、
カメラ付き携帯電話で撮影しておく事をおすすめします。
特に、かま風呂「ふるさと」~九頭竜大社間は、長い住宅地沿いの車道が続き、
下り坂でも徒歩で約15~20分なので、バス停の時刻表をチェックしておくと便利です。
また、最終目的地の拝観終了時間も確認して、それを基準に出発時間を決めましょう。

八瀬を歩くコース

このコースでは、京都バスの「ふるさと前」停留所から出発する事にします。
叡山電鉄「八瀬比叡山口」駅周辺であれば、降りてすぐに川のせせらぎや新緑を感じられるのですが、
この辺りは住宅地の中という印象です。
停留所から見える看板に従って進みます。

♪スキマ情報・八瀬童子とは♪

「八瀬童子」という言葉をご存じでしょうか?
平安時代より八瀬郷に生活してきた人達を八瀬童子と呼び、
天皇の葬送の際に棺を担ぐ役目を担う存在として知られています。
「童子」とは子供の事ではなく、寺役に従事する者は結髪せずに長い髪を垂らした、
いわゆる大童であり、草履を履いた子供の様な姿であったためそう呼ばれていました。

彼らは自らを「鬼の子孫」として自治組織を形成し、八瀬に隣接する延暦寺に奉仕すると共に、
足利軍が入京し後醍醐天皇が比叡山に逃れたとき、八瀬の村人達が弓矢を執って
その行列の警護をしたという功績により、天皇や上皇の行幸、葬送の際に駕輿丁(かよちょう・輿や棺を担ぐ役)を務め、
昭和20年までは土地への租税免除の特権を得ていたそうです。

♪スキマ情報2♪

八瀬童子は、明治・大正天皇の大葬の際にも、葱華輦を担ぐ務めを果たしましたが、昭和天皇の際には、
警備上の都合により、束帯姿の皇宮護衛官が駕輿丁となり、自動車によって棺が運ばれたため、
葬場内で移動する葱華輦に八瀬童子の代表者数名が参加するという形になりました。

さて、間もなく左手に八瀬天満宮社の鳥居が見えてきました。

八瀬天満宮社・秋元神社と「赦免地踊り」

「赦免地踊り」で知られる秋元神社は、八瀬天満宮社の境内にあります。

無形文化財の指定を受けている「赦免地踊り」(毎年10月の第2日曜日)とは
鳥居をくぐってすぐ左手に、石碑が2つ建っていました。

 

それによると、平成16年の8月21日の天皇皇后両陛下の京都行幸の際に、
京都御所の前庭で八瀬童子が赦免地踊りを行い、
その三日月の光のもとで舞う様子を皇后陛下が歌に詠まれたという事を、
皇室家と縁の深い泉湧寺の長老の言葉で記してありました。
この歌が、記念碑と共に建てられています。

この京都御所においての天皇家へのお披露目は過去にも度々催行され、
オリンピック東京大会芸術展示や万国博覧会の「民族芸能大会」でも披露されています。

後醍醐天皇が八瀬に行幸した頃より600年以上もの縁。
八瀬の人々と皇室家との交流が、今でも大切に守られているのですね。

この広い畑の真ん中にある参道を通って、お社へと向かいます。


八瀬に住まう神様と人々が寄り添って生活しているような印象を受けました。
ふと農家の人と目が合い、思わず会釈。
社叢の中の神域へと入っていきます。

水で手や口を清めますが、そばにあるこの白い布達は、
濡れた手を拭うのに使用して良いのでしょうか??
「奉納 ○×」とだけしか書いていないので、しばし困惑。

 

秋元神社

  • 時間:自由参拝
  • 拝観料:自由参拝
  • 駐車場:10/10日以外は有(無料)
  • 車椅子:段差、部分的に階段が数段あり
  • 一言解説:八瀬集落に関する資料や、周辺飲食店等のパンフレットを置いています。
  • 詳細ページ

この赦免地踊りを含む京都市左京区内の、国や市の無形民俗文化財に指定・登録されている
23行事のハイライトを収録したDVD「左京を彩る伝統絵巻」(2006年製作、90分)は、
京都市国際交流会館で視聴でき、ひと・まち交流館京都でも視聴や借りる事ができます。

問い合わせ:左京区役所総務課075-771-4235

DVDの映像の一部をインターネットで観たい人はこちら »

この秋元神社以外にも、八瀬天満宮の本殿の周りには幾つかの小さなお社が、
木陰の中でひっそりと佇んでいます。


「左京区民誇りの木」ともされているご神木の杉の木。
根っこがすごい…。きっと何年もここで八瀬童子の赦免地踊りを見守って来たんでしょうね。


菅原道真公が腰掛けた?と言われる石。
天神さんて、色んな所に出没してるんですね…。


秋元神社の隣の方、山奥へと続く小道の始まりに石碑が建っています。
これは、後醍醐天皇が八瀬の村人達に守られながら比叡山に逃れたときに通った道である事を示しています。
試しに歩いてみましたが、一人で山中を探検するのは危険なので、途中で引き返す事にしました。



再び畑の中の参道に戻り、犬の散歩中のおじいさんと話していると、農家のおじさんが近寄って来て、
「『女の子が一人で境内に入って行くのを見かけたけど、なかなか帰って来いひん』って
近所の人に言われて境内を探しに行ったんやけど、姿が見えへんから心配しとったんや。」と。

おそらく先程の小道を歩いていた間の事なのでしょう。
ご心配かけてごめんなさ~い!!そしてありがとうございます!

八瀬について調べていると話すと、農家のおじさんは
「この辺に住んどるもんは、皆八瀬童子と言うんや。わしも今年の正月の一般参賀に行ってきたもん」
と誇らしげに語っておられました。
「この先に区役所の出張所があるし、そこ行ったら何か見せてくれはるわ。」

ということで、もと来た道を進みます。

左京区役所八瀬出張所

  • 時間:月~金曜日の8時半~17時
  • お問い合せ:075-781-5091

窓口で尋ねると、所長さんが色んな資料を広げて見せて下さいました。
赦免地踊りの歌の楽譜や祭当日の古い進行表等、なかなかマニアック!

中でも「洛北八瀬」という本には、昔の八瀬界隈の様子や、
天皇のお輿を担ぐ人々の姿を写した古い写真が掲載されていているので、思わず見入ってしまうほど。

この八瀬界隈にあり、鬼が住んでいた等の諸説があるという洞窟「鬼ガ洞」
(高さ約5メートル、三畳程の広さ)について所長さんに尋ねてみましたが、
一人では危ないので行かない方が良いと言われてしまいました。
はい、そうですね。これ以上周りの方にご心配をかけてはいけませんよね…。

所長さんが「左京が育む伝統の絆 八瀬赦免地踊り」というビデオテープを貸し出して下さいました。
ありがとうございます!

頭上の額には、赦免地踊りの灯篭に貼り付ける赤い切り絵が納められていました。

八瀬小学校

出張所のすぐそばに小さな小学校があります。
この小学校では、先程見かけたあの切り絵を学ぶ教室が長年続けられているそうです。
赤い和紙で動植物を表現した切り絵は本当に繊細なもので、
これを小学生の子供達がカッターで切って作っているのかと驚かされます。
敷地内の先生達と目が合うと、「こんにちはー」と声をかけて下さいました。

料理旅館・かま風呂「ふるさと」

  • 住所:京都市左京区八瀬近衛町239
  • 電話:075-791-4126
  • 営業時間:11時~15時 16~19時
  • 定休日:不定休
  • 紹介文:料理旅館ですが、かま風呂のみの利用も一人からできます(有料)。お食事は2名様から。春は窓の外に桜が見える席も幾つかあります。外にある見学様のかま風呂は、自由に観る事ができます。お昼のふるさと御膳(御弁当)は、3,500円(税金・サ込)など。夕食にはスキヤキや洛北名物・ぼたん鍋もあります。
  • ホームページ

八瀬といえば、かま風呂!
京都の中でも八瀬はちょっとマイナーな地域ですが、京都人に八瀬について尋ねると、
「八瀬といえば…かま風呂?」という言葉が出てくるはず。

♪スキマ情報・かま風呂とは♪

土石の窯でできた蒸し風呂の一種で、いわば日本古来のサウナのようなもの。
672年の壬申の乱の際、大海人皇子が背に矢傷を負い(「矢背」→「八瀬」の由来だという話もあります)、
この地のかま風呂に入って傷を癒したといい、八瀬の名物として現存最古の形式を今に残し、
京都市の有形民族文化財に指定されているのが、「ふるさと」のかま風呂です。

♪スキマ情報・壬申の乱とは♪

大化の改新の後に即位した天智天皇の死後、
その後継を弟の大海人皇子と天智天皇の子の大友皇子が争った合戦です(672年)。
天智天皇は、即位した当初は弟の大海人皇子を皇太子に立てましたが、
後に自分の子の大友皇子を次の天皇にしたいと思うようになりました。
それを察した大海人皇子は誅殺されるのを恐れ、出家して吉野に逃亡しました。
天智天皇が崩御し大友皇子が即位した頃、大海人皇子は都に攻め上り、
大友皇子の軍を破って天皇に即位しました(天武天皇)。

かま風呂の存在は、16世紀頃には記録に残されており、この八瀬界隈は湯治場として広く知られ、1715年にはかま風呂が16軒を数えたといいます。
八瀬に現存しているかま風呂は、明治28年に京都で行なわれた内国勧業博覧会を記念して
復元作製された2基のうちの1基である可能性が高いと言われています。

現在改良され、今でも利用できるかま風呂は、「ふるさと」と「八瀬 平八茶屋」にあります。
神経痛やリューマチの他、二日酔いや肩凝りの人にも爽快感が味わえるのだとか。
サウナほど高温ではなく、息苦しさも無いそうなのでサウナが苦手な人でも、
利用しやすいかもしれませんね。

川を隔てて向こう岸にある「ふるさと」へと橋を渡るうちから、そのかま風呂は見えます。
こちらの見学は自由です。
かつて若狭の地から京へ塩漬けの鯖を運んだ人々も、ここで足を休めたりしていたのでしょうか。
昔の人達が、かま風呂で汗を流した後、八瀬の新緑の中で銘々に涼む光景を想像すると、
なんだか楽しいですね。

 

妙傳寺(妙伝寺)(※拝観希望の場合は、要問い合わせ)

  • 拝観料:自由参拝
  • お問い合せ:(※要問い合わせ)075-771-2088

八瀬小学校から更に10~15分程歩いたところにあるお寺です。

残念ながら和尚さんがお勤めで外出中だったので、拝観する事は叶いませんでしたが、
このお寺には、後醍醐天皇や、明治・大正の両天皇の棺を載せた輿を担いだ八瀬の住民、
武家や貴族等の位牌が祀られているのだそうです。お目にかかりたかった!

さて、ここから九頭竜大社までは、車の往来の激しい下り坂を
バス停3~4駅分歩かなくてはならないので、最初に辿り着いた停留所でバス待ちしてもいいでしょう。




徒歩なら約15~20分。
住宅地の道路脇を歩き続けますが、大きな山に挟まれた景色の中で時折川のせせらぎが聞こえたり、
趣のある家屋もちらほら見かけたりします。
不思議なのは、お地蔵さんがあちこちにたくさんあるということ。
この辺りはかつて「愛宕郡(おたぎぐん)」と呼ばれていたようですね。
取材当時は、まだ山肌に桜が残っていました。

「斎藤実盛甲(かぶと)が淵」
後日、この道中にこういう名の付いた川淵があった事を知りましたが、どの景色か思い出せず…。
平治の乱に敗れた源義朝(源頼朝・義経の父)の家来・斎藤実盛ほか主従らが、山伏の襲撃を受け、
淵を飛びわたって逃げたという説話があるそうです。

  
 

九頭竜大社

  • 時間:自由参拝
  • 車椅子:石段あり
  • お問い合わせ:075-781-6405
  • 一言解説:発祥は昭和29年。開祖・大西正治朗氏が九頭竜弁財天の思召しにより社を創建。独自のお参り方法が境内の看板に書かれています。
  • ホームページ

割と新しい印象の神社です。神道系の新興宗教なのでしょうか?
けど、普通の神社とは違って、他社の古いお守りを納める事はできないようです。
独自のお参り方法があるようで、参拝客がお堂の周りを歩いたりしていましたが、その手順を読んでいるとちょっと面倒そう!?
「お急ぎの時は、本殿正面でお参り下さい」とあったので、そうさせて頂きました。
 

     
   

さて、そのまま「磯の観音はどこかな~」と歩いていると、突然入り口が見つかりました。

・「駒飛び石」(こまとびいし)

こちらも見逃してしまいましたが、磯の観音前、国道367号線を50メートルほど手前の川の東岸、
バイパス道路の真下に、源義朝が馬上のまま飛び越えたという巨岩があるそうです。

真山がけ観音寺

  • 車椅子:石段あり
  • お問い合わせ:075-701-4959
  • 一言解説:平治の乱(1159年)に敗れた源義朝が東国へ落ちのびる途中、源氏の再興を願って岩に刻んだとされる観音像(非公開)を祀る。昭和初期には、地元の人達によってお堂が建てられた。

♪スキマ情報・壬申の乱とは♪

・平治の乱とは

平清盛が京を離れ、熊野詣でに出向いている間に、源義朝や藤原信頼らが中心となって起こした
クーデター・平治の乱。
結局は平家方が勝利し、追われた義朝は辿り着いた尾張国で討ち死に。
情勢は平家へと傾いていきましたが、義朝による源氏再興の願いの行方は…皆さんもご存じですよね。

誰も居ない小さなお堂の中に看板が。
「四国八十八カ所霊場お砂踏み ご自由に参り下さい」
こんなところでお砂踏みができちゃうの!?しかもよそのお寺のお砂踏みよりずっと簡単そう!
…と思ったら、真上の天井に居た大きな蜂が恐くてできませんでした…。
足腰丈夫な若い者はちゃんと霊場まで足を運ぶべき!という思し召しでしょうか…。

叡山ケーブルの看板が見えて来ました!

叡山ケーブル(叡山ロープウェイ)

  • 住所:京都府京都市左京区八瀬野瀬町
  • 電話:075-781-4089(京福電鉄鋼索遊園課)
  • 定休日:12/1~3/19(1/1~1/3は運行))
  • 紹介文:叡山ケーブルから叡山ロープウェイへ乗り継いで、比叡山方面に行く事ができます。
  • 一言解説:叡山電鉄叡山本線の終着駅・八瀬比叡山口に程近い、ケーブル八瀬からケーブル比叡を結ぶ1.3kmの路線です。所要時間9分で、乗客の状況に応じ増発します。終着のケーブル比叡からは叡山ロープウェーが接続していて比叡山頂まで行く事が出来ます。標高差 561mで、日本一を誇ります。
  • ホームページ

このケーブル、懐しい!
かつてこの先に、「比叡山人工スキー場」があり、小さい頃に両親と共にスキー板を抱えてこのケーブルに乗っていました。
もう今は営業されていないスキー場ですが、こじんまりしていながらもよく通った覚えがあります。

※比叡山方面の情報はこちら→「比叡山へ行こう!」 

 


ひたすら道沿いを歩いて来ましたが、ここでぐっと緑豊かになって来ました。
これから新緑の季節に向かって、緑の色がますます鮮やかになっていくのでしょうね。

  

叡山電鉄「八瀬比叡山口」駅

駅のすぐそばに橋が架けられており、川が勢いよく流れています。
最初にここで下車した人は、この景色と滝の様な水音で「八瀬にキターー!」
という気分になるでしょうね!
6月の半ばには、高野川周辺に螢が飛ぶようです。

わらび茶屋

  • 住所:京都市左京区上高野東山72
  • 電話:075-781-5413
  • 営業時間:不定休
  • 定休日:水曜日
  • 紹介文:桜や紅葉を眺めながら、手作りのわらび餅などを味わえます。

焼きわらび餅(420円)を注文しました。
確かに、天然の原料で手作りされている様な食感で美味しかったのですが、
もうちょっと盛ってあるといいのになあ~なんて。
「少し前だったら、ここから桜がたくさん見えたんですけどねえ。」と
お店のおばさんが、桜や紅葉の季節のお店の様子を写したアルバムを見せて下さいました。

  


こちらのお座敷の窓からは、川の流れを楽しめるかもしれません。




さて、ここからは後半のヤマ場です!川の東側の道、川下の方へとことこ歩きます。
瑞々しい草に映える山吹の花の黄色が、はっとする程鮮やか。

 

瑠璃光院

  • 車椅子:階段あり 瑠璃光院公式ウェブサイト
  • 一言解説:八瀬集落に関する資料や、周辺飲食店等のパンフレットを置いています。

駅からも近く、八瀬の観光スポットとしてここを外しちゃ勿体ない!!
山門を潜った時から別世界。心が躍ります。緑のトンネルに吸い込まれるように入って行きます。



  

 

♪スキマ情報♪
三条実美(さんじょうさねとみ)とは

京都生まれの公卿、政治家。尊皇攘夷派の公家の中心的存在でしたが、
1863 年に尊皇攘夷派の京都追放を狙った8月18日の政変により、長州に逃れます。
王政復古後、明治4年には最後の太政大臣となり、明治政府の中心人物として、草創期の国家建設に尽力しました。
内閣制度が創設されてからは内大臣となり、一時は臨時首相を兼任した事もあるという希な経歴を持った人です。
その実美公が書かれたという「喜鶴亭」の額が、玄関で出迎えてくれます。

ここの建築にあたった棟梁は、裏千家出入りの大工であり、京数寄屋造りの名人と言われた中村外二。
開放的な書院。誰も居ないのをいい事に、ついくつろいでしまいそうです。
ある天候条件を満たすと、この庭が浄土の世界の様に瑠璃色に輝くので「瑠璃の庭」という名が付いたそうです。
一体どんな状況になればそんな姿を見られるのか、知りたいですね。
苔の間を幾筋も走る白い道が、屋内に展示してある来迎図とシンクロして、阿弥陀如来や観音達を乗せた紫雲の通った跡の様に見えてきました。

奥の仏堂からも、外の景色が見渡せるようになっています。

  

茶室から眺める「臥龍(がりょう)の庭」。
天に駈け昇る龍を表し、眺める人の心を解き放ち、昇運の兆しをもたらすのだとか。
こちらの席では、あえて視界を遮って、また異なった視覚効果を出しています。

 


今度は2階へ。そういえば、お寺で2階へ上がる事って余り無いような。
やわらかな風が吹き抜けるお座敷。
秋になれば、窓の外の紅葉が錦繍を競う様に息を呑む事に間違いありません。
先程の瑠璃の庭を、今度は上から眺める事になります。床の間には富岡鉄斎の山岳図。




机の上はペン字で写経ができるようになっていました。
こんな素敵な環境なら、思わず体験してみたくなりますね。




1階へと降り、こちらでも展示されているというかま風呂を拝見。
まるで人の家のお風呂にでも入りに行くような気分で廊下を歩きます。

 


 

新設されたものでしょうか?今すぐにでも使えそうな程新しい印象です。
このかま風呂の中に横たわって汗を流して、書院の畳に寝転んでみた~い!

ゆったりとした時間が流れる瑠璃光院。
風格ある佇まいですが威圧感はなく、辺りの自然に溶け込んでいます。
おそらく、近代日本を担う多くの文人や政治家達の語らいの場、
憩いの場として愛されていたのではないでしょうか。
今でも、茶会や能楽・邦楽等の伝統文化の会合等の会場として、この場を提供されているようです。

今度は、秋の紅葉の季節に訪れたいと思いました。

最後は、新緑の京を代表する風物詩・葵祭ゆかりの地を訪れます。

  

御蔭神社

  • 時間:自由参拝
  • 拝観料:自由参拝
  • 駐車場:無
  • 車椅子:石段あり
  • お問い合わせ:075-781-0010(下鴨神社)
  • 一言解説:下鴨神社の境外摂社で、京都三大祭・葵祭に先駆けて
    荒御霊を下鴨神社に迎える御蔭祭は、ここで行われます。

この神社へは瑠璃光院より更に奥へと進み、病院の横の山道を入って行きますが、山中の人気の無いところにあるので、一人歩きはちょっと心細いかも?隣駅の「三宅八幡」駅を東南側に出て、線路を左手に見ながら住宅地を北へ15~20分程進むルートもあります。

  


瑠璃光院方面から行く場合の山道の入り口はこんな感じです。


こちらは「三宅八幡」駅方面から行く場合の山道の入り口。


 

ここで行われる御蔭祭は、神馬に神霊を遷して本社に迎えるという我が国最古の形式を今に伝えるといいます。
下鴨神社と同じく、西殿に賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)、
東殿に玉依媛命(たまよりひめのみこと)を祀ります。
賀茂建角身命は、古代の京都を開いた神様で、京都の守護神として祀られています。
農耕を広めて民生の安定に努め、また「導きの神」としてのご神徳を顕わしました。

玉依媛命は賀茂建角身命の子で、鴨川の上流から流れ来た丹塗の矢を拾って床に置いたところ、
上賀茂神社の祭神である賀茂別雷命を懐妊したという神話が伝えられていることから、
縁結び、子育て等の「婦道の守護神」、「水を司どる神」として親しまれています。

さて、この葵祭で上賀茂・下鴨の両賀茂社に進む本列を、列奉行、副列奉行や列方として導くのも、
八瀬童子会の役目なのです。
稚児(童子)になる小学生から大人まで、2007年度には91名が参加しました。

小学校6年生になったらお稚児さん、青年になったら何らかの役となって勅使列に奉仕するのが
八瀬童子会に昔から受け継がれているしきたりであり、また誇りなのです。

 

お疲れさまでした!
ここ最近の八瀬の中でも比較的新しいスポットをご紹介しておきましょう。

八瀬離宮

この地はもとは「森のゆうえんち」「スポーツバレー京都」であった事は京都っ子にもお馴染みですが、
それ以前は「新世紀京都博」(昭和39年 3/20~5/31)なるものがあったそうです。

ラフな服装で散策していたため、エントランスで待ち構える従業員さん達の間を通るのは少々恥ずかしい気もしましたが...。
ロビーラウンジで抹茶パフェを頬張ってしまいましたとさ。

首都圏からは遠く、京都の街の中心地からも少し離れた場所でありながら、
600年以上もの間、皇室家との交流を持ち、朝廷に関わる行事として葵祭も支え続けている八瀬の童子たち。
大人から子供まで、近所に暮らす者同士で手を取り合い、慎ましやかに伝統を守り続ける静かな誇りを感じました。

一言コラム

takenoko桜の満開を迎えた週末の京都。 平日蕾を濡らした雨も上がったというのに、家族行事で京都の桜を拝みにいけずじまい。 そ...[続きを読む]
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