明治以降陰陽道がすたれ、歴史の授業で取り上げられることはないので、
謎に包まれた知る人ぞ知る人物だった。
近年、荒俣宏氏の『帝都物語』や夢枕漠氏の『陰陽師』(岡野玲子氏により
コミック化も)などでにわかにクローズアップされてきた。伝説に彩られた
平安時代中期の大陰陽師。天文博士。土御門家の祖。父は系図によれば
大膳大夫・安倍益材(あべのますき)。
物語や伝説上では父は安倍保名(あべのやすな)、母は狐の化身・葛の葉(くずのは)。
出身は和泉(大阪府)、讃岐(香川県)、筑波(茨城県)など諸説ある。妻の名は不明。
息子の吉平(よしひら)・吉昌(よしまさ)も父の後を継ぎ、陰陽師となった。
幼い時に京に上り、陰陽師・賀茂忠行の元で修行し、鬼神を見ることができたという。
天皇や藤原道長等貴族のために占いをしたり、陰陽道諸々祭を取り仕切った。
著書に占いを集大成した『占事略決』がある。
その生涯は神秘的なエピソードで彩られ、平安時代の貴族の日記や仏教説話集にも、
鬼神を見て師匠を救った、天変を察して花山天皇の退位を知った、よく式神(鬼神)を使い、
老僧と術比べをして勝った、草の葉を投げて蛙を殺した、
白犬と共に道長に掛けられた呪いを見破った、蔵人の少将に掛けられた呪いを見破り、
呪詛返しをし、呪いをかけた陰陽師を殺したなどの話が載っている。
これらの説話を見ると人を救いもするが、「晴明」という綺麗な名前に似合わず、
殺生もする、「一癖ありげな陰陽師」のイメージが浮かんでくる。
江戸時代に入るとますます人気が沸騰し、物語や浄瑠璃の題材にもなった。
狐の母と悲しい別れをした、ライバル・芦屋道満に殺された父を一条戻橋で生き返らせた、
唐に留学中に道満に妻を寝取られた、蛇を助けて龍宮城へ行ったなどなど、
ミステリアスなエピソードに事欠かない。
安倍晴明は1005年、85歳で天寿を全うした。当時としては異例の大往生である。
一度死んだが、閻魔大王に秘印をもらい、生き返った、という話もあるのだが・・・