蘇る晴明、その伝説に迫る
晴明神社から北へ5分。「堀川今出川」のバス停から203系統に乗り、東へ約20分。
「真如堂前」(暗くなったら「錦林車庫前」からの方が無難)下車。
橋を渡って北西に、石段を上ると真如堂(9:00~16:00・拝観\500-)にたどり着く。
本尊は阿弥陀如来、紅葉で有名なお寺だが、ここに晴明が閻魔大王からいただいて
蘇生したという秘印と晴明蘇生の掛け軸がある。
さらには晴明の念持仏と伝わる不動明王像が安置されている。
この中で常時拝観できるのが、内陣に安置されている「晴明蘇生の図」の掛け軸。
閻魔大王の従者からうやうやしく金印を受け取る黒の束帯姿の安倍晴明と、
瀕死の晴明を助けた念持仏の不動明王が色鮮やかに描かれている。
江戸時代に『真如堂縁起絵巻』を参考に描かれたといわれるこの掛け軸。
原本は従者が巻物を持っているのに対し、掛け軸の方は印に変わっているそうだ。
掛け軸の下には晴明がいただいたといわれる御朱印が展示されている。
本堂では五芒星が刻まれたこの御朱印と由来書(\400-)がいただける。
由来書によると、「真如堂の不動明王は安倍晴明の念持仏で、晴明が亡くなった時に、
不動明王が閻魔大王に晴明の命乞いをする。閻魔サマはこの願いを聞き入れ、
晴明に横死の難を救い、 亡者を極楽浄土に導く秘印を与える。これにより晴明は生き返る。
不思議なことにその金印が晴明の懐に入っていた。
晴明はその後85歳の長寿を保ち、秘印によって、人々の苦しみを救った。
大往生の後、秘印と不動明王像は真如堂に納められた」とある。
また『真如堂縁起』(7/25のみ公開)には後日談が記される。
「『室町時代に晴明の子孫・安倍有清が天皇に真如堂の不動明王像の返還を求め、
勅使が真如堂から唐櫃に入れた不動明王を運び出す途中、鴨川辺りで櫃が急に軽くなり、
帰って開けてみると中身は空。不動明王は真如堂の方に戻っていた。
それを聞いた天皇も諦めるように晴明の子孫におっしゃった。」
そして晴明の念持仏は真如堂に安置されて今に至るそうだ。
この不動明王は11月15日にのみ公開されており、残念ながら今回は出会えなかった。
が、ちょうど紅葉も美しい時期。再び訪れて、ぜひとも拝見してみたいものだ。
*真如堂さんのページ (※「苦沙彌のINTERNET僧坊」)