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幕末の史跡を訪ねて

高瀬川沿いの木屋町・河原町界隈は飲食店やお洒落なSHOPが立ち並ぶ都の繁華街。
賑やかなビルの谷間に、ひっそりと石碑が立っているのをご存知ですか?

坂本龍馬、桂小五郎、中岡慎太郎ら幕末の志士の寓居跡、 長州や土佐の藩邸跡、そして龍馬暗殺や新選組の池田屋事件など、 血なまぐさい事件の舞台を示す碑もあります。
又、最近立てられた凛々しい顔立ちの桂小五郎や土佐四天王の銅像もあります。

人々の笑顔が行き交う街角に、ひっそりと息づく幕末の魂。
ほんの100年余り前までは、この界隈が歴史の舞台だったのです。
買い物の合間にでも街角の石碑や銅像にに目を留めて、幕末のロマンを追ってみませんか?

→今回取り上げた幕末の人物について詳しくは
「幕末京都」さんのホームページを ご覧下さい。


~高瀬川・河原町編~

おすすめコース
 

 クリックすると拡大地図になります。
【高瀬川・河原町モデルコース】
阪急河原町駅
  ↓(徒歩3分)
中岡慎太郎寓居の地・
あぶらとり紙・象

  ↓(徒歩3分)
坂本龍馬・中岡慎太郎
遭難の地

  ↓(徒歩10分)
長州藩邸跡・桂小五郎像
  ↓(徒歩5分)
木戸孝允旧跡・石長旅館
  ↓(徒歩3分)
高瀬川一之舟入
  ↓(徒歩1分)
佐久間象山・
大村益次郎遭難の地

  ↓(徒歩2分)
幾松・桂小五郎幾松寓居跡
  ↓(徒歩3分)
大村益次郎寓居の跡
  ↓(徒歩1分)
武市瑞山寓居の跡
  ↓(徒歩1分)
吉村寅太郎寓居の地
  ↓(徒歩2分)
三条大橋
  ↓(徒歩2分)
小川亭跡
  ↓(徒歩5分)
池田屋騒動跡
  ↓(徒歩3分)
酢屋・坂本龍馬海援隊屯所跡
  ↓(徒歩2分)
土佐稲荷神社
  ↓(徒歩1分)
土佐四天王像
  ↓(徒歩1分)
土佐藩邸跡
  ↓(徒歩2分)
本間精一郎遭難の地碑
  ↓(徒歩1分)
古高俊太郎邸跡
  ↓(徒歩3分)
阪急河原町駅

中岡慎太郎寓居の地(なかおかしんたろうぐうきょのち)あぶらとり紙 象(あぶらとりがみ ぞう)

四条河原町から北に約3分歩くと「中岡慎太郎寓居の地」という石碑が建っている。ここが土佐の陸援隊の隊長で坂本龍馬と共に暗殺された中岡慎太郎の京都での拠点だった。以前は菊屋という古本屋だったそうだ。
今は石碑が残るのみ。

石碑の後ろには「象」というあぶらとり紙のお店があり、『龍馬と慎太郎(レギュラー30枚入¥335)』がおすすめ。

お店の前には「高瀬川史跡めぐり」という幕末史跡の地図(今回の特集もこのコースを参考に作成)が置いてあるので、もらっておくと参考になる。

) オンラインショップもあり ます。
TEL:075-213-3322 
営業時間:11:00~21:00
定休日:不定休
アクセス:阪急河原町駅より徒歩3分

中岡慎太郎寓居の地碑

あぶらとり紙 『龍馬と慎太郎』

坂本龍馬・中岡慎太郎遭難の地碑(さかもとりょうま・なかおかしんたろうそうなんのちひ)

龍馬が下宿していた醤油商・近江屋のあった場所。
慶応3年(1867)11月15日、ここの2階で中岡慎太郎と歓談中に刺客に襲われ、無念の最期を遂げた。刺客は見廻組とも新選組とも言われるが、詳細はいまだ謎のまま。

今は京阪交通社の前に石碑が残るのみで過去と現在のギャップが感じられる。

住所:中京区河原町通蛸薬師下ル

坂本龍馬・中岡慎太郎
遭難の地碑

長州藩邸跡・桂小五郎像・木戸孝允旧跡(ちょうしゅうはんていあと・かつらこごろうぞう・きどたかよしきゅうせき)

河原町御池にそびえる京都ホテルの辺りは、かつて長州藩の藩邸があったところだ。ここに長州藩邸跡の石碑と桂小五郎像が建っている。
桂は幕末、長州藩の京都における「外交官」だった。

端正な顔に似合わず、「禁門の変」で長州敗走後、乞食に変装して鴨河原に潜み、京都脱出の機会を待っていたという苦労人。
その陰には恋人・幾松(後の松子夫人)の献身があった。

京都ホテルの北東にある旅館・石長松菊園門前には「木戸孝允旧跡」の石碑が建つ。ここで桂は終焉を迎えた。

(長州藩邸跡)
住所:河原町三条京都ホテル前

(木戸孝允旧跡)
住所:河原町通竹屋町東入石長松菊園前

京都ホテル前の桂小五郎像

石長松菊園前の「木戸孝允旧跡碑」
「旧跡」の字は隠れて見えない

高瀬川一之舟入(たかせがわいちのふないり)

慶長19年、角倉了以が高瀬舟の船溜として作った掘割。
現在は十五石積の復元された高瀬舟が係留され、当時を偲ぶことができる。

近くに角倉了以邸跡の石碑もある。

ここで池田屋事件の際に土佐の望月亀弥太が切腹したという。

住所:木屋町御池上ル

高瀬川一之舟入の高瀬舟の模型

一之舟入付近には角倉了以邸があった

佐久間象山・大村益次郎遭難の地(さくましょうざん・おおむらますじろうそうなんのち)

三条小橋のたもとの「佐久間象山先生・大村益次郎卿遭難の地・北へ約壱丁」と刻まれた、比較的大きな石碑を目にしたことのある方は多いのではないだろうか?
しかし、遭難の地碑本体は結構大きいのだが、比較的目につきにくいところにあるので、見たことのある方は少ないかもしれない。

そもそもこの二人は何物や?
佐久間象山は信濃出身の幕末の兵・洋学者で勝海舟や坂本龍馬にも影響を与え、開国論を唱え、1864年、攘夷派に暗殺された人物。
大村益次郎は周防出身の兵学者で戊辰戦争の軍事指導、明治政府の兵部大輔としても活躍した人物だが、1869年、長州の刺客によって重傷を負い、2ヶ月後に死去した。

ふたりの幕末の兵学者は奇しくも木屋町御池付近に居を構え、時期は5年ほどずれるが、木屋町御池上ルの長州藩控え屋敷付近で暗殺された。
軍事に命をかけたふたりの兵学者の寓居の地・遭難の地碑は高瀬川沿いに2つ並んでひっそりとただずんでいる。

大村益次郎寓居の地碑→木屋町御池上ル
佐久間象山遭難の地碑・大村益次郎遭難の地碑
→木屋町御池上ル・中華料理ハマムラ横

佐久間象山寓居の地碑→木屋町御池下ル

三条小橋の遭難の地案内碑

大村益次郎遭難碑(向かって左)
佐久間象山遭難碑は顔入(右)
※このページの掲載情報は、取材時のものであり、現在のもの、歴史上の事実とは異なる場合がございますので、ご了承下さい。参考としてご覧頂きますようお願い申し上げます。

坂本龍馬 伏 見 新撰組 幕 末


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