お稚児さんは、祇園祭の生神(いきがみ)様。古式に則り、八坂神社から長刀鉾町へと養子に出され、
やがて神様の使いとなり、数々の儀式をこなしながら、祭りの無事を祈願します。 山鉾巡行の日は、
稚児が振る太刀によって注連縄が切り落とされ、これで結界を解き放ち、山鉾を先に進ませるという大役を任されています。
【六月八日】 稚児・禿 報道関係発表 |
選ばれた長刀鉾の稚児と禿が、長刀鉾町会所にて、多勢の報道関係者に 向けて理事長より発表されます。稚児家・禿家・長刀鉾役員が同席。 お稚児さん達は、緊張しながらインタビューに答えます。 |
【六月九日】 八坂神社訪問 稚児家訪問 |
八坂神社と稚児家へご挨拶。同行した長刀鉾町役員らと今後の 打ち合わせをします。 八坂神社宮司にもご挨拶。 |
【六月十八日】 衣装合わせ |
各神事で着用する衣装合わせが鉾町会所で行われます。 カラフルな振り袖や袴に、お稚児さん役達の笑い声。 稚児係が丁寧に着付けます。 |
【六月十九日】 京都市長表敬訪問 |
長刀鉾町の役員、稚児・禿と両親・親族は京都市役所で、 稚児・禿を務める報告をし、市長からは励ましの言葉を頂きます。 |
【六月二十三日】 結納の儀 |
稚児役の子を鉾町に迎える大事な儀式。八坂神社より神官を迎え、 稚児家に疫病防除の神「祇園牛頭天皇」を祀り、稚児家が汚されないよう 清祓の儀がとり行わ れます。 この日から稚児家の当主は毎朝祭壇への お供えを欠かさないよう務めます。 その後、結納の儀がとり行われ長刀鉾町と稚児との養子縁組が成立し、 この日より稚児は鉾町の子供となります。 |
【六月三十日】 理髪の儀 |
翌日のお千度の儀に備え、稚児と禿の担当をして約二十六年以上の 理髪店にて、うなじの後ろの毛を“うろこ”に剃り込みます。 この儀は、吉符入の儀、曳初の儀、神幸祭の前日と、 計四回とり行われます。 |
【七月一日】 お千度の儀 |
鉾町の役員や稚児係と共に、八坂神社神前に稚児に選ばれた事を報告し、 巡行の安全と神事の無事を祈ります。 稚児と禿は、京都でも三人のみと言われる顔師のお化粧によって 神秘的な美しさに包まれていき、禿を先頭に稚児は八坂神社境内へ。 父・祖父と言えども、稚児 と素手で手をつなぐ事は許されず 白い布越しに手を引きます。 鉾町の役員、稚児・禿、その両親と親戚が揃って本殿を千度廻り 参拝します。 実際には三回廻りますが、役員、お供の数を通算すると 千度廻った事になるそうです。 |
【七月一日】 囃子方初顔合わせ |
囃子方と、稚児家・禿家との初顔合わせです。稚児と禿も長刀鉾の浴衣に 身を包みます。 囃子方がお祝いを込めて、神秘的で崇高な“祇園囃子”を披露します。 |
【七月二日】 乗馬練習 |
社参の儀に向けて、八坂神社参道で乗馬練習。 白馬「マドンナ」は暴れん坊将軍で松平健さんが乗っているそうです。 |
【七月三日】 稚児舞稽古 |
十七日の山鉾巡行の本番に向けて、稚児係の指導で会所二階にて 行われます。 稚児舞とは、山鉾が通る道を清め祓う舞で「太平の舞」と 言うそうです。 稚児の足はお父さんとおじいさんが支え、 稚児係は後ろから支えます。 |
【七月五日】 吉符入の儀 |
選ばれた稚児が初めて正式に町内の人々に紹介され、神に仕え 稚児は、蝶とんぼの冠と、青海波に鶴模様の藤紫色の振り袖に、薄緑紗の肩衣袴を着用します。 |
【七月五日】 禿家訪問 |
太平の舞を無事披露した後、一同は禿の家へ。禿の親族一同も暖かく お出迎えします。 冷たいグリーンティーとお菓子に、稚児・禿も顔が ほころびます。 |
【七月七日】 綾傘鉾の稚児社参 |
保存会員の推薦を受け、綾傘鉾の稚児に選ばれた子供達が八坂神社を 社参します。稚児達は山鉾巡行で傘鉾の先頭を歩きます。 綾傘鉾町内の子供に迎えられる結納の儀を済ませた稚児は、 水干を身に付け朱傘を差されて八坂神社の南楼門から境内に入ります。 本殿で神木の杉の葉を入れた「杉守り」や、稚児であることを認められる 宣状を神職から受け取り、本殿を3周し、本殿の正面と背後で 手を合わせます。 |
【七月十日】 清祓の儀 |
八坂神社から神官を招き、祭事の無事を祈願する儀式が鉾町で 行われます。 稚児・禿の衣装、冠、扇子に、鉾建て、鉾の周り、蔵に至るまで 全ての物を清めます。 三条小鍛治宗近の打った大長刀で肩をさすると魔除けになると 言い伝えられ、全ての参列者も魔除けを行います。 |
【七月十二日】 曳初の儀 |
完成した鉾に巡行当日と同じ盛装で音頭取、囃子方が乗り込み、 町内を試し曳きします。 稚児と禿は初めて動いている鉾に乗れる日です。 祭壇に柏手を打ち、曳初の安全を祈願してから鉾に乗ります。 四条通りの鉾町より富小路通までの往復の試し曳き。 沿道は多くの人達で溢れています。 綱を引くと厄除けになると言われ、 この時は女性や子供も曳く事ができます。 |
【七月十三日】 社参の儀 |
稚児が大名(正五位少将十万石)の位を授かる大切な日です。 白馬にまたがり大勢のお供を従え、八坂神社へ向かいます。 お供は武士の家来役なので、全員裃姿で参列します。 稚児は蝶蜻蛉の冠と金烏帽子を身に付け、神の使いへとその姿を かえていきます。 禿もこの日は侍烏帽子の冠を付けます。 稚児を護る武士の役目を担っているのです。 この日から山鉾巡行のお務めを果たすまで稚児は神の使いとされ、 地面に足をつける事も許されません。食事や着替えなど一切の世話も父親が行うとされています。 馬上の稚児はそのまま稚児家へと進み、長刀鉾町理事長から 祝いの言葉を頂いた後、 稚児家主催の「直会」が行われます。 稚児達は厄除けの稚児餅を頂きます。 この日、久世駒形稚児も社参します。 京都市南区久世の綾戸国中(くなか)神社は素戔嗚尊の荒御魂(あらみたま)、八坂神社は和御魂(にぎみたま)を祭り、久世駒形稚児は毎年、氏子の男児から選ばれ、神幸祭と還幸祭でそれぞれ馬に乗って神輿を先導します。 |
【七月十四日】 松原中之町表敬訪問 |
古式一里塚松飾りの神事です。中之町には脈々と受け継がれる伝統と 神を敬う心があります。 町家の奥に祀られたお社に疫病を鎮める お祈りを捧げます。 →スタッフレポート |
【七月十四〜十六日】 八坂神社参拝 |
三日間、毎日八坂神社に参拝して巡行の無事を祈り、霊験あらたな おけら火を頂いて 鉾町へ持ち帰ります。この間はお母さんが 化粧係を勤め。和やかな支度風景。 おけら火を頂いたら末社参り。数多く点在するお社を一つ一つ 参拝しながら廻ります。 そのまま一行は、夕闇迫る四条通を鉾町に向け 歩みます。 稚児と禿が鉾の上に立つと、拍手が沸き上がります。 宵々々山、宵々山、 宵山と、街は百万人を超す人でごった返し、祭気分は最高潮に達します。 |
【七月十六日】 注連縄切練習 |
長刀鉾の最も重要な儀式。注連縄を太刀で切り、結界を解く事が できるのは稚児だけなのです。 |
【七月十七日】 山鉾巡行 |
全国に流行した疫病を退散させるため、災厄の除去を行った事に由来する 祇園御霊会より 一千百年もの間、連綿と引き継がれてきた山鉾巡行です。 絢爛豪華な衣装を身にまとった稚児は強力の肩に担がれて鉾の上に。 禿は先頭を歩きます。 沿道を埋め尽くした見物衆の前にて堂々とした 「見返りの稚児」。その瞬間「いよー日本一!」。観客の声援も一段と 高くなります。 祇園囃子が響き渡る都大路。長刀鉾が巨体をきしませ、注連縄 に近づいてきます。 長刀鉾理事長が、奉行役の市長に巡行の許可を 頂きます。 多くの観客の前で稚児舞を披露。いよいよ注連縄切。 緊張は最高潮に達します。 「一刀両断」。注連縄切を成し遂げた瞬間、沿道からはどよめきと 割れるような拍手が沸き起こります。この注連は厄除けになるそうで、 沿道の観客が我先にと 飛びつきます。 総重量約12t、高さ約25mの巨大な鉾が角を曲がる時、地面に青竹を 敷いて、水を撒き、音頭取、車方と五十人の曳き手が心をひとつにして、 豪快に辻廻し を行います。 三十二基の山鉾の先頭を行き、太平の舞、注連縄切りを終えた稚児・ 禿は、 大勢の人々に見送られて、静かに鉾を降ります。 |
【七月十七日】 お位返しの儀 |
正五位少将のお位を返上し、全ての大役を成し遂げた稚児・禿は、 これより普通の少年に戻っていきます。 |