時宗紀行 | 人名事典 | その他の史蹟 |
年表 | 系図 | リンク・文献 |
宝治元(1247)~弘長3(1267) |
文永元(1264)~文永11(1274) |
建治元(1275)~弘安8(1285) |
元号 (西暦) |
執権 | 連署 | 将軍 | 天皇 | 上皇 | 六波羅 | 年齢 | 出来事 | 関連事項 |
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宝治1 (1247) |
時頼 | 重時 | 頼嗣 | 後深草 | 後嵯峨 | 長時 | 6・5.父・時頼、三浦一族を滅ぼす(宝治合戦) | 8.道元を鎌倉に招く | |
宝治2 (1248) |
5.28.兄・時輔誕生(母・側室讃岐局・幼名宝寿丸) | ||||||||
建長元 (1249) |
6.時頼、相模守になる12.9.引付衆を設置 | 3.京都大火 | |||||||
建長2 (1250) |
12.23.時頼妾三河局、邸から追放される(時輔母・讃岐局と同一人物か?) | ||||||||
建長3 (1251) |
1 | 5.15.時宗、甘縄安達邸で誕生(幼名正寿丸) | 2.鎌倉大火 | ||||||
建長4 (1252) |
宗尊 | 2 | 5.15.時宗、甘縄安達邸で誕生(幼名正寿丸) | ||||||
建長5 (1253) |
宗尊 | 3 | 11.建長寺落慶法要12.鎌倉大火。多数焼死者あり | ||||||
建長6 (1254) |
4 | 4.29宋船入泊数を5隻と定める | |||||||
建長7 (1255) |
5 | 2.21時頼千人に勧請して建長寺の梵鐘を鋳造 | |||||||
康元1 (1256) |
長時 | 政村 | 時茂 | 6 | 8.宝寿丸(時輔・9)元服、「三郎時利」と名乗る(烏帽子親は足利頼氏)11.23時頼(30)、最明寺にて出家、執権を長時に譲る | 8九条頼経没(39)9九条頼嗣没(19) | |||
正嘉1 (1257) |
7 | 2/26.正寿丸元服、時宗と名乗る(烏帽子親は将軍宗尊親王)この頃時頼、諸国漫遊の旅に出る? | |||||||
正嘉2 (1258) |
8 | 時利、時輔(時宗を補佐する意)と名を改めさせられる時輔(11)、小山氏の女と結婚 | クビライが大カアンに即位 | ||||||
正元1 (1259) |
亀山 | 後深草 | 9 | 幕府六波羅に西国の取締を命ずモンゴル軍、高麗を征服 | |||||
文応1 (1260) |
10 | 2.時宗、小政所別当となる6.18.時宗、時輔(13)と共に将軍夫人鶴岡参詣の供を勤める | 7.日蓮、『立正安国論』を著す | ||||||
弘長1 (1261) |
11 | 4.23.時宗、安達氏の女、堀内殿と結婚4.25.時宗、小笠懸で見事に的を射る12.22.時宗、従五位下 左馬権守に叙任される | 5.日蓮、伊豆に流される | ||||||
弘長2 (1262) |
12 | 叡尊・忍性、鎌倉で布教する | |||||||
弘長3 (1263) |
13 | 11.22.時頼没(37) | 5.日蓮赦免 |
宝治元(1247)~弘長3(1267) |
文永元(1264)~文永11(1274) |
建治元(1275)~弘安8(1285) |
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