時宗紀行 | 人名事典 | その他の史蹟 |
年表 | 系図 | リンク・文献 |
宝治元(1247)~弘長3(1267) |
文永元(1264)~文永11(1274) |
建治元(1275)~弘安8(1285) |
元号 (西暦) |
執権 | 連署 | 将軍 | 天皇 | 上皇 | 六波羅 | 年齢 | 出来事 | 関連事項 |
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文永1 (1264) |
政村 | 時宗 | 宗尊 | 亀山 | 後深草 | 時茂 時輔 |
14 | 5.29.宗尊(23)皇子・惟康王誕生8.21.政村(60)が執権、時宗(14)が連署に就任、8.21.執権長時(35)没、11.27.時輔(17)六波羅南方に任じられ、京都へ | 延暦寺の僧の蜂起、盛んとなる |
文永2 (1265) |
15 | 1.5.時宗、従五位上、但馬権守に叙任、3.28・時宗、相模守を兼ねる、政村、相模守から左京権太夫へ転任、4.21.京の時輔(18)、式部丞 従五位下へ | 1.6.六波羅に延暦・園城両寺の事を議定させる | ||||||
文永3 (1266) |
惟康 | 16 | 3.6.引付衆を廃し、評定衆が訴論沙汰を行う、7.3.宗尊親王(25)が京に帰され、子の惟康親王(3)が将軍になる | ||||||
文永4 (1267) |
惟康 | 17 | 12.御家人の所領の売買質入禁12.9.近衛基平(22)関白就任 | ||||||
文永5 (1268) |
惟康 | 18 | 3.5.時宗、政村(64)と交代して執権となる | 2.27.蒙古より使者・国書来る11.19.関白近衛基平没(23) | |||||
文永6 (1269) |
惟康 | 19 | 4.27.引付衆復活 | 蒙古、対馬で略奪 | |||||
文永7 (1270) |
惟康 | 20 | 1.朝廷が蒙古への返書を作成するが、幕府送らず将軍惟康親王(7)元服、加冠役は政村(66) | 1.27.六波羅北方時茂没(31)金沢文庫、火災 | |||||
文永8 (1271) |
時輔 義宗 |
21 | 9.12.日蓮、龍口の法難、佐渡へ流される、11.27.義宗(19)六波羅北方に任ぜられ、京へ向かう、時宗の嫡子・貞時生まれる | 蒙古、国号を元とする再度蒙古より使者・国書来る御家人に九州防御に当たらせる | |||||
文永9 (1272) |
22 | 2.9.六波羅の時輔と義宗、揃って後嵯峨院を見舞う2.11.鎌倉で名越時章(58)教時(38)討たれる2.15.時輔(25)、時宗の命を受けた義宗(20)に討たれる(二月騒動) | 2.17.後嵯峨院(53)没、5.高麗使、牒状をもたらす宗尊、親王、出家、10.諸国に大田文提出 | ||||||
文永10 (1273) |
義政 | 義宗 | 23 | 5.27.連署・政村没(69)。義政、連署となる | 3.元の使者、大宰府に来る | ||||
文永11 (1274) |
後宇多 | 亀山 | 24 | 10.5.蒙古軍、対馬を攻める、10.20.蒙古軍、博多に上陸するも夜撤退(文永の役) | 1.26.後宇多即位、亀山院政、宗尊親王(33)、没、2.14.日蓮を放免 |
宝治元(1247)~弘長3(1267) |
文永元(1264)~文永11(1274) |
建治元(1275)~弘安8(1285) |
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