時宗紀行 | 人名事典 | その他の史蹟 |
年表 | 系図 | リンク・文献 |
宝治元(1247)~弘長3(1267) |
文永元(1264)~文永11(1274) |
建治元(1275)~弘安8(1285) |
元号 (西暦) |
執権 | 連署 | 将軍 | 天皇 | 上皇 | 六波羅 | 年齢 | 出来事 | 関連事項 |
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建治1 (1275) |
時宗 | 義政 | 惟康 | 後宇多 | 亀山 | 義宗 | 25 | 2.4.異国警固番役を設置し、九州の警備を強化する、異国降伏の祈祷、盛んに行われる | 4.15.元使、長門に着く、9.7.元使が龍口で切られる |
建治2 (1276) |
時国 | 26 | 12.4.義宗(24)六波羅より帰り、評定衆となる | 3.鎮西武士に石塁を築かせる、8.長門警備を強化 | |||||
建治3 (1277) |
27 | 5.22.連署義政遁世、8.17.義宗(25)没 | 11.20.日蓮、時宗を日本国の主と呼ぶ | ||||||
弘安元 (1278) |
時国 兼村 |
28 | 12.23.宋の名僧を招聘するため徳栓、宗英を派遣 | 7.24.蘭渓道隆(66)没、11.元が日本商船の交易を許可する | |||||
弘安2 (1279) |
29 | 6.5.弟・宗頼没、8.20.無学祖元を建長寺の住職とする | 6.無学祖元、来日、7.元使を博多で処刑 | ||||||
弘安3 (1280) |
30 | 7.23.石清水方丈会以前殺生禁断の宣旨を諸国に施行 | |||||||
弘安4 (1281) |
31 | 5~7.元軍、高麗軍、来襲し、対馬、壱岐、志賀島を制圧されるが、台風のため、多くの元船が沈没。残った船を幕府軍が追撃する。(弘安の役) | 2.亀山上皇、熊野へ参詣し、異国降伏を祈る災 | ||||||
弘安5 (1282) |
32 | 3.1.時宗、巨福路坂で一遍と出会う、12.8.円覚寺の落慶法要が行われる | 10.13.日蓮(61)没 | ||||||
弘安6 (1283) |
33 | 5.1.時宗、鹿島大禰宜より異国降伏巻数を受け取る、7.18.円覚寺を将軍家祈祷所とする | 1.元、征東行省を再設置、3.元、日本に使いを送るが悪天候のため、失敗 | ||||||
弘安7 (1284) |
貞時 | 兼村 兼時 |
34 | 4.4.時宗、最明寺別邸にて出家。(法名・道杲)、同日、時宗没、享年34歳、7.貞時(13)、執権に就任 | 8.兄・時輔が子息を連れて各地を回っているとの御教書あり | ||||
弘安8 (1285) |
貞時 | 24 | 11.安達泰盛(55)、平頼綱に討たれる(霜月騒動) |
宝治元(1247)~弘長3(1267) |
文永元(1264)~文永11(1274) |
建治元(1275)~弘安8(1285) |
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