壬生 | 島原~西本願寺 | 不動堂村 | 伏見 |
黒谷~四条~三条 | その他関連史跡 | 参考文献 |
役職 | 剣の流派 | プロフィール |
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近藤 勇 (1834~1868) 新選組局長 |
天然理心流 | 武蔵国の農家に生まれたが、学問好きの父から「三国志」や「水滸伝」などの英傑伝を聞いて育った。特に主君に忠誠を尽くした武人・関羽がお気に入りだった。これが後に、道場主としての安泰な生活を捨て、幕府を守るために武士として生きることを切望させた。近藤周助の試衛館に入門、周助の養子となる。人望篤く、理想高き決断の人(剛の剣豪局長)。 |
土方 歳三 (1835~1869) 新選組副長 |
天然理心流 | 侍の美学を貫いた「柔」の色白の美男子。ユーモアがあり明るい性格で、梅の花を好む文学青年だった。しかし京都での土方は新選組を結成以降、局長にかわり、隊内の実務をこなし、「鬼の副長」に徹していた。「局中法度」に反するものを厳しく罰した。 |
沖田 総司 (1842~1868) 新選組副長助勤 (一番隊隊長) |
天然理心流 | 新選組の誰もが一目置く剣の天才。沖田に心を寄せる女性も多かったと伝えられる。非番の時は、屯所・壬生寺の境内などで近所の子供たちと無邪気に遊ぶ一方、ひとたび刀を握れば躊躇なく人を切ったという。持病に労咳を抱えていた。 |
芹沢 鴨 (1827~1863) 新選組局長筆頭 |
神道無念流 | 芹沢城主の末裔で豪士の三男。水戸勤王派の武田耕雲斎に学び、武田が結成した天狗党の一員で三百余名の党員を率いた。新選組時代乱暴者で、気に入らないことがあれば、すぐに周囲のものを殴ったらしい。 |
永倉 新八 (1839~1915) 新選組副長助勤 (二番隊隊長) |
神道無念流 心形刀流 |
松前藩士永倉甚治の次男として、江戸下谷三味線堀の藩邸長屋に生まれる。食客として試衛館に出入りするうち、近藤勇等と親しくなり、ともに清河八郎の浪士組に参加。維新後は杉村義衛と名乗り、生き証人として「顛末記」を著し、新選組隊士の墓建立に尽力した。 |
原田 佐之助 (1840~1866) 新選組副長助勤 (十番隊隊長) |
種田宝蔵院流槍術 | |
斉藤 一 (1844~1915) 新選組副長助勤 (三番隊隊長) |
一刀流 天然理心流 |
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山崎 蒸 (1834~1868) 新選組副長助勤 (諸士調役兼監察) |
香取流棒術 | |
井上 源三郎 (1829~1868) 新選組副長助勤 (六番隊隊長) |
天然理心流 | |
島田 魁 (1828~1900) 諸士調役兼監察 伍長 新選組頭取 |
心形刀流 | |
山南 敬助 (1833~1866) 副長 総長 |
北辰一刀流 | |
藤堂 平助 (1844~1867) 新選組副長助勤 (八番隊隊長) |
北辰一刀流 | |
伊東 甲子太郎 (1835~1867) 参謀 |
神道無念流 北辰一刀流 |
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武田 観柳斎 (不明~1867) 新選組副長助勤 (六番隊隊長 五番隊隊長 文学師範) |
学問の流派 甲州流軍学 長沼式軍学 |
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新見 錦 (1836~1863) 局長 新選組副長 |
神道無念流 | |
大石 鍬次朗 (1839~1870) 諸士調役兼監察 |
小野派一刀流 | |
清河 八郎 (1830~1863) 浪士隊幹部 |
北辰一刀流 | 文武とも並はずれた才能の持ち主だった。浪士組の創立者であったが、入洛後すぐに尊皇の意志を宣言し、幕府に江戸へ戻される。 |
松平 容保 (1835~1893) 会津藩主 京都守護職 |
14歳の時会津松平家に養子。18歳で会津藩主となる。その10年後、京都警護の名目で新設された京都守護職に抜擢され上洛。 |