壬生 | 島原~西本願寺 | 不動堂村 | 伏見 |
黒谷~四条~三条 | その他関連史跡 | 参考文献 |
和暦 | 西暦 | 月日 | 歴史事項 | ゆかりの地 |
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寛政5年 | 1793年 | 6月27日 | 高山彦九郎、九州筑後の森嘉膳宅で自刃する。 | |
嘉永6年 | 1853年 | 6月3日 | 浦賀にペリー来航。 | |
安政元年 | 1854年 | 3月3日 | 天皇の許し無く、3月に日米和親条約、その後、日英(8月)、日露(12月)和親条約に調印。 | |
安政5年 | 1858年 | 2月9日 | 老中首座堀田正睦、諸外国との通商のために上洛し、関白九条尚忠らに会い話をすすめる。勅許を得られず。 | 拾翆亭 (九条家屋敷跡) |
4月23日 | 井伊直弼、大老に就任。 | |||
6月19日 | 天皇の許し無く、日米修好通商条約に調印。 | |||
9月7日 | 安政の大獄始まる。 | |||
10月 | 徳川家茂、14代将軍になる。 | |||
安政7年 | 1860年 | 3月3日 | 井伊直弼、暗殺される。(桜田門外の変) | |
文久元年 | 1861年 | 10月20日 | 皇妹和宮、徳川家茂へ降嫁のために江戸へ向かい、翌年2月に婚儀。 | 宝鏡寺 |
文久2年 | 1862年 | 4月23日 | 薩摩藩同士が討幕問題で斬り合う、寺田屋事件が起こる。11月24日 松平容保、京都守護職として京都に入る。 | 黒谷金戒光明寺 京都守護職屋敷址 |
文久3年 | 1863年 | 2月4日 | 近藤勇、土方歳三、沖田総司ら幕府の募集に応じて浪士組に加わる。 | |
2月8日 | 清河八郎、芹沢鴨、近藤勇ら江戸で募集された浪士組一行が江戸を出発する。 | |||
2月23日 | 浪士組、夕方に京都三条大橋に着き、壬生村に入る。 | 旧前川邸 八木邸 |
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2月24日 | 清河八郎、新徳寺で尊皇討幕宣言の建白書を御所学習院に提出する。 | 新徳寺 | ||
3月13日 | 清河八郎、浪士組を率いて江戸に帰る。近藤、土方、芹沢らは京に残ることが許され、会津藩主松平容保の預かりとなる。 | |||
8月18日 | 蛤御門に出陣し、新選組の隊名を拝命する。尊皇急進派七卿と長州勢力が御所から閉め出される。 | 御所蛤御門 | ||
9月14日 | 新見錦、切腹する。 | |||
9月18日 | 藤、土方、沖田らが八木邸にて、芹沢鴨、平間重助、平山五郎を闇討ちし、粛正の名のもとに芹沢、平山を殺害する。 | 八木邸 | ||
元治元年 | 1864年 | 6月5日 | 池田屋で密会している尊攘派志士を近藤、沖田、永倉らが探しあて踏み込む。(池田屋事件) | 池田家騒動の址 |
7月11日 | 肥後藩士、河上彦斎らにより、佐久間象山が暗殺される。 | 佐久間象山遭難の碑 | ||
7月13日 | 池田屋惣兵衛が六角牢で獄死する。 | |||
7月18日 | 長州藩と幕府が京都御所の蛤御門で戦う。(禁門の変) | 六角獄舎跡 | ||
9月9日 | 近藤の勧誘によって伊東甲子太郎、篠原泰之進らが新選組に加わる。 | |||
慶応元年 | 1865年 | 2月23日 | 山南敬助、新選組を脱走するが沖田によって捕えられ、脱走の罪で切腹。介錯は沖田総司。 | 光縁寺 |
3月10日 | 壬生の屯所が手狭になったので西本願寺に移った。 | 西本願寺屯所跡 | ||
慶応2年 | 1866年 | 1月22日 | 小松帯刀、西郷隆盛、木戸孝允らの会議が京都で行われ、薩長同盟が成立する。 | |
7月20日 | 14代将軍家茂死去。 | |||
9月12日 | 三条大橋の制札に危害を加える浪士を新選組が切り伏せる。 | |||
12月5日 | 徳川慶喜、15代将軍になる。 | |||
12月25日 | 孝明天皇崩御。 | 泉涌寺・ 孝明天皇御陵 |
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慶応3年 | 1867年 | 3月20日 | 伊東甲子太郎、御陵衛士を拝命し、新選組から分離する。篠原、藤堂らも新選組から離れる。(高台寺党結成) | 月真院(高台寺) |
6月10日 | 新選組が幕府の直参になる。 | |||
6月15日 | 西本願寺から屯所を不動堂村に移す。 | 不動堂村屯所跡 | ||
6月22日 | 武田観柳斎、新選組から分離。銭取橋で殺害される。 | |||
9月23日 | 明治天皇即位 | |||
10月14日 | 徳川慶喜、朝廷に大政奉還を上奏する。 | |||
11月15日 | 坂本龍馬、中岡慎太郎が近江屋の二階で幕府見廻組に斬殺される。 | 坂本龍馬・ 中岡慎太郎像 (円山公園) |
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11月18日 | 伊東、帰宅途中の油小路で新選組に殺される。遺体を引き取りに来た藤堂らも殺される。 | 伊東甲子太郎他 数名殉難之跡 |
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12月7日 | 天満屋で新選組と土佐の海援隊・陸援隊が斬り合う。(天満屋騒動) | |||
12月9日 | 小御所会議が開かれ、王政復古の大号令を発される。(将軍職廃止) | 明治天皇 行幸所木戸邸跡 |
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12月18日 | 近藤勇、伏見の墨染付近で篠原、阿部らに狙撃され、負傷する。 | 伏見奉行所跡 善光寺 |
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明治元年 | 1868年 | 1月3日 | 上鳥羽の小枝橋で薩摩兵が発砲。鳥羽伏見の戦いが始まる。 | 小枝橋の碑 |
1月6日 | 淀千本松の戦いで薩摩兵におされ敗走し、井上源三郎が戦死する。 | |||
1月7日 | 将軍慶喜は大阪城にいたが、旧幕臣の戦意が上がらないので松平容保・定敬を伴い、開陽丸で江戸へ帰り、恭順する。新選組も敗走。 | |||
3月6日 | 甲州勝沼の戦いで敗れる。 | |||
4月3日 | 新政府軍に流山を包囲され、近藤勇が投降する。 | |||
4月4日 | 土方、江戸で勝海舟と会い、近藤を助けてもらうようにお願いする。近藤、板橋に護送される。島田魁、土方と合流。 | |||
4月25日 | 近藤勇、板橋の刑場で処刑される。 | |||
5月30日 | 沖田総司、江戸において病いで死亡。 | |||
8月19日 | 新選組、猪苗代から母成峠へ転戦する。榎本武揚、品川沖から艦隊を率いて脱走する。 | |||
9月22日 | 会津藩が降伏する。 | |||
明治2年 | 1869年 | 5月11日 | 新選組、新政府軍の総攻撃を受け、弁天台場に籠城する。土方歳三、一本木に進軍したが、撃たれて戦死する。 | |
5月18日 | 五稜郭が陥落し、戊辰戦争が終わり、新選組は称名寺に収容される。 |