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小野小町 (おののこまち・生没年未詳) |
平安時代前期(9世紀)の女流歌人。本名・小野吉子?六歌仙(在原業平・僧正遍昭・大友黒主・小野小町・喜撰法師・文屋康秀)の一人。出身地や終焉の地は京都の山科・市原・大宮町、秋田県雄勝町、鳥取県など、全国各地に20箇所以上もある。 小野篁の孫で出羽の国の郡司・良真の娘と言われる。(小野氏系図)姉・孫ら親族はいたらしい。(『古今和歌集』『後撰和歌集』)仁明天皇の更衣(妃の一人)であったとも采女(後宮に仕える地方豪族の娘)であったとも巫女であったという説もある。 『古今和歌集』に恋の歌、夢の歌、季節の歌等18首の和歌が収められている。文屋康秀、僧正遍昭、安倍清行、小野貞樹らとは歌を贈答していて、彼ら中には小町と恋愛関係や和歌サロン仲間であった人もいるだろう。私歌集に『小町集』があるが、偽作や他人の作も混ざっているという。 優れた歌人であり、絶世の美女で、晩年は不幸な生涯を送ったとされる事から美人驕慢伝説(深草少将百夜通い等)、穴なし説、老婆流浪伝説等、様々な伝説が生まれた。能、謡曲、御伽草子にも小町を題材にしたものが多い。 全くもって謎だらけのミステリアスな女性だが王朝女流文学の先駆的作品を残し、後の文学に影響を与えた役割は大きい。 |
←小野小町というと百人一首に描かれている十二単のお姫様を 想像される方は多いかと思うが、彼女の生きた9世紀は遣唐使の廃止前で まだ中国の影響が強い時代だった。小町の時代の女性は奈良時代から引き続き、 左のような中国の影響を色濃く受けた天女風の衣装を着ていたのではないかと思われる。 |