全国に広がる小野小町伝説の一部をご紹介します。全体的に悲しく、残酷な話が多いような気がします。人々の美への憧れが妬みへと変わってったのでしょうか?絶世の美女・小野小町のなれの果ては幸せなものではなかったようです。 |
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小町伝説 | はねず踊り | リンク・文献 |
伝説 | 内容 | 場所・出典 |
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深草の少将百夜通い | 小野小町に思いを寄せる深草の少将。「私の所に100夜通い続けたら、思いを遂げさせてあげる。」との小町の言葉を信じ、深草から小町の住む山科・小野の里まで約5km、毎晩通い続けた。小町は榧の実で少将の通った日を数えていた。ところが99日目の雪の日、少将は99個目の榧の実を手にしたまま、死んでしまった。小町は後に供養のため、榧の実を小野の里に蒔いたという | 京都 |
はねず踊り | 山科の随心院に伝わるはねず踊りの歌詞は一般的な百夜通いとは少し違う。少将は小町愛しさで深草から毎日小野の里まで通う。日数を榧の実で数えるまでは同じ。ところが99日目、雪があまりにもひどかったので代人に通わせた。気が変わった小町は「百晩はまだでもまあお入りなさい。」と招き入れるが、少将とは別人ということがバレて愛想をつかされてしまった。その後小町は少将のことは忘れ、老いてなお、里の子達と楽しい日々を過ごしたという。少将は振られてしまって少しかわいそうだが、亡くなりもせず、小町の方は老いても幸せそうな人生を送っているので、他の百夜通い説話よりも明るい結末というべきか? | 随心院 (京都) |
深草の少将秋田へ | 小町は秋田県雄勝町小野の里の出身。13歳のとき京へ上り宮仕えするが36歳で故郷の秋田へ帰る。深草の少将は小町を追って何と秋田へ!疱瘡を患っていた小町は「毎日1本ずつ近くの土手に芍薬を植えて。100本植えたら会いましょう」と提案。そのうちに疱瘡も治るだろうと考えていたが、100日目の雨の日に渡っていた橋が流されて、少将は亡くなってしまう。小町は少将が仮の宿としていた長鮮寺に住んで92歳まで少将を弔って暮らした。 | 秋田県 雄勝町 |
『妙性寺縁起』 | 晩年の小町は天橋立への旅の途中で、三重の里・五十日(いかが・現在の大宮町五十河)に住む上田甚兵衛宅に滞在し、「五十日」「日」の字を「火」に通じることから「河」と改めさせた。すると、村に火事が亡くなり、女性は安産になった。再び天橋立に向かおうとした小町は、長尾坂で腹痛を起こし、上田甚兵衛に背負われて村まで帰るが、辞世の歌を残して亡くなったという。村人達は小町を篤く弔い、村の一等地に葬った。後に彼女を慕って深草の少将までもが現れて、この地で亡くなったという。 | 京都府 大宮町 |
草紙洗小町 | 大友黒主と歌合せをした小町。黒主は小町の歌の評判がいいのをねたんで、草紙に歌を書き込み、「小町の歌は万葉集の盗作だ」という。小町は落ち着いてその草紙を近くの井戸で洗うと、後から書き足した歌が洗い流れ、汚名を晴らした。 | 小町通 (京都) |
小町針 | 絶世の美女なのにもかかわらず、男を寄せ付けなかった小町は実は男を受け入れられない体であった。という伝説。穴のない「まち針」は「小町針」からなまったものだという説も。 | 各地 |
温泉で疱瘡を治した小町 | 京都のとある温泉町(今の福知山市)に疱瘡を患った女性がやってきた。村薬師如来に祈りつつ温泉につかっていたところ、たちまち疱瘡は治り、輝くばかりの肌になった。実はこの女性、小野小町だった。 | 京都府 福知山市 |
老いた姿を嘆く小町 | 年老いた小町は小野一族ゆかりの地に辿り着き、井戸などに自分の醜くなった姿を写し、嘆きつつ、余生を送った。行き倒れになったという話も。 | 全国各地 |
卒塔婆小町 | 老後、容色が衰え、生活に困り、乞食となってちまたをさまよった。 | 謡曲 |
あなめ小町 | ススキ野原の中で「あなめあなめ」(ああ、目が痛い)と声がするので僧が立ち寄ってみると、どくろがあって、その目からススキが生えていた。抜き取ってやるとそれは小町のどくろだった。 | 謡曲 |