2001年3月25日 於・随心院 |
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3月25日(日)春雨のぱらつく中、小野駅から小町ゆかりの随心院へ向かった。毎年3月の最終日曜日、随心院では小野小町と 深草少将に扮した少女達が踊る「はねず踊り」が行われる。「はねず」とは薄 紅色のこと。随心院には「はねず梅」と呼ばれる薄紅色の遅咲きの梅を集めた梅園があり、丁度このころ見頃を迎える。 入り口で拝観料1000円(はねず踊り+梅園+寺宝見学料込)を支払いまずは梅園へ。2週間前に小町の取材で来た時はまだ3分咲きだったが今日は満開だ。 春雨に濡れる梅の花も又格別の趣だ。 |
小野梅園のはねず梅。色もうす紅色・赤・白、花びらも一重・二重と様々。 |
時計は3時を指している。平年なら境内ではねず踊りが行われるはずなのだが、一向に始まりそうな気配がない。係の方に伺ってみると今年は雨天のため、屋内で行われるとのこと。急いでお寺の中に入った時には既に見学者でいっぱいだった。 はねず踊りが行われるのは「卒塔婆小町像」と「文張地蔵尊」が安置されている「能の間」だ。 衰えた小町像の前で小町に扮したピチピチの小学校高学年の女の子が舞うのも面白いものだ。小町役、少将役、それぞれ4人ずつの少女が舞う。少将は狩衣姿かと思いきや、小町とよく似た小袖に笠の姿。はねず踊りは昭和48年に復元され、当時は少将役は男の子だったが、白塗りの化粧と女物の着物が恥ずかしがられ、いつしか女の子が演ずるようになったという。 はねず踊りの歌は、深草の有名な少将百夜通いをモチーフにしたものだが、一般に知られている話とは少し違う。小町の元に98夜通い詰めた少将だが、99日目、雪がひどいのを理由に他の人に代わってもらった。 ところが小町の気が変わり。「100夜には足りないけれどお上がりなさい。」と家に招き入れる。 それで代人を立てたのがバレてしまい、少将は振られてしまった。 小町はそれから少将の事はすっかり忘れ、里の子供達と遊んで 老後まで楽しく暮らしたというもの。 |
今年は雨天のため室内で 行われたはねず踊り |
例年ははねず梅が香る 境内で行われる |
振られてしまった少将はちょっとかわいそうだが、雪で凍え死ぬこともなく、小町も老後まで幸せに暮らしたというから、従来の哀愁漂う百夜通いの話よりもユーモラスで明るい結末だ。小町と少将に扮して踊る子供達の表情も明るい。 はねず踊りの後は、白拍子による今様が奉納された。 白拍子役の1人は小学校の頃ははねず踊りに参加したとあって堂々としたものだった。 「随心院」という題名でやはり小町と少将が登場する話だった。 その後は小野地域女性会の方々の踊りが2曲。皆さん揃いの衣装で楽しそうに踊っていた。 子供から大人まで、小野地区の女性たちはこの日のために踊りの練習、本当に大変だっただろうな・・・。 |
出番を待つ白拍子 |
最後にはねず踊りがもう1度披露された。今度は前の方で見学することが出来、見学者の頭を写さずにビデオと写真を撮る事ができてほっとした。花笠が美しかったのが印象的だ。 住職さんのお話をもって今年のはねず踊りは終了。 例年は梅の花香る境内で奉納されるが、小町像が見守る能の間で見るはねず踊りも、なかなか趣があっていいものだった。 はねず踊りなど催し物は11時、13時、15時から約1時間行われる。13時からの舞台は狂言「土蜘蛛」も奉納され、更に見応えのあるものだそうだ。 |
小野地域女性会の踊り。 後ろでは卒塔婆小町像と 文張地蔵が見守っている |
舞台が終わって、もう1度梅園に足を運んだ。 何本かの梅の木には和歌や俳句を書いた短冊が吊るしてある。 見学者も良い句が読めたらここに吊るしていいそうだ。 なんと雅な趣向!残念ながら歌心のない私は読めなかったが、梅や小町を主題にした短冊は、春雨に濡れてえも言えぬ風情を醸し出していた。 はねずは薄紅の意味だけれど、薄紅色ばかりでなく、濃い赤、白、桃色、花びらも二重、一重と様々な花が楽しめるはねずの梅。中には昨日開花宣言が出された桜と見まごう花まである。 いつしか雨は止み、春風に乗ってふくよかな梅の香が漂ってきた。 京都に春の訪れを実感させる随心院のはねず踊り。 小町と少将のロマンスを偲びつつ、来年は皆さんも堪能してみませんか? ~随心院はねず踊り~ 日時:毎年3月最終日曜日、11・13・15時~ 料金:1000円(はねず踊り・梅園・寺宝拝観料込み) アクセス:地下鉄東西線小野駅下車徒歩5分 |
短冊に和歌を書いて 梅に吊るす、雅な趣向。 |