小野小町というと「絶世の美女」という点と様々な伝説の方がクローズアップされがちですが、六歌仙・三十六歌仙にも選ばれるほどの優れた歌人であることを忘れてはいけません。『古今和歌集』の仮名序は 「小野小町は古の衣通姫の流なり。あはれなるやうにて、つよからず。
いはば、よき女のなやめるところにあるに似たり。つよからぬ女の歌なればなるべし。」 と小町を『古事記』に登場する絶世の美女・衣通姫に例え、その美しさと手弱女(たおやめ)ぶりの優美な歌を絶賛しています。 『古今集』に収められた小町の歌は18首。他にも『新古今和歌集』や『後選集』など勅撰和歌集にも小町作と言われる歌があり、私家集と言われる『小町集』もありますが、これは偽作や他人の作が多く、実際に小町の歌かどうかは疑わしいそうです。今回は『古今集』を中心に、小町作と言われている歌をいくつかご紹介しましょう。 |
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歌 | 訳 | 備考 | 出典 |
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花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせし間に |
花の色は褪せてしまったわ。私が物思いにふけりながら長雨を眺めている間に・・・。そして(かつては絶世の美女と謳われた)私の容色も衰えてしまった・・・。 | 『百人一首』にも収められた有名な歌。散りゆく桜の花にわが身の衰えを重ねて嘆く小町。 | 『古今集』 巻2・春歌 |
色見えで うつろふものは 世の中の 人の心の 花にぞありける |
色として目に見えないままで変わってゆくのは、花は花でも人の心という花だったわ。 | 変わってゆくのは花や容色ばかりでなく、(衰えた私に対する)人の心の花だった。ああ無情! | 『古今集』 巻15・恋歌 |
今はとて 我が身時雨に 降りぬれば 事のはさへに うつろひにけり |
私は今、年を重ねてしまったので、あなたの言葉も次第につれなくなってしまったのね。 | かつて恋愛関係にあったと考えられる小野貞樹に送った歌。貞樹は「私は移ろわないよ。」と返している。 | 『古今集』 巻15・恋歌 |
秋風に 逢ふたのみこそ 悲しけれ 我が身空しく なりぬと思へば |
男の飽き風に逢った頼みのない女の身は悲しいものね。稲が秋風にあって空しくなってしまうと同じよう・・。 | 男に捨てられ、身寄りがなくなってしまった嘆き。晩年身寄りなく乞食になってさ迷った小町の伝説を彷彿さ。 | 『古今集』 巻15・恋歌 |
みるめなき 我が身をうらと 知らねばや かれなて海人の 足たゆく来る |
見る機会のない私が憂鬱な状態とご存知ないせいか、あなたは海人の足がだるくなるほど熱心にお通いになるのね。 | 在原業平の歌の後に収録されていることから小町が熱心に通う業平に向けた歌と見る説もある。 | 『古今集』 巻13・恋歌 |
思いつつ 寝ればや人の 見えつらん 夢と知りせば 醒めざらましを |
貴方の事を思いつつ寝たので夢に見たのでしょうか?夢と知っていたら目覚めずに眠っていたのに・・・。 | 好きな人のことを思って眠れば夢に見られると考えられたのは今も昔も同じ。小町の歌を多く残している。 | 『古今集』 巻12・恋歌 |
いとせめて 恋しき時は むばたまの 夜の衣を 返してぞ着る |
貴方のことが恋しい時は夜着を裏返して着てみようかしら?せめてあなたの夢が見られるように・・・。 | 当時は夜着を裏返して着れば恋しい人の夢が見られるという俗説があった。小町の夢の歌はロマンチックだ。 | 『古今集』 巻12・恋歌 |
人に逢わむ 月のなきには 思ひおきて 胸走り火に 心焼きけり |
人に合う手立てのない闇夜には、胸さわぎの火で心が焼けてしまいそう・・・。 | 逢えない日に胸騒ぎで心焦がす女。かなり情熱的! | 『古今集』 巻19・雑体歌 |
わびぬれば 身をうき草の 根をたえて さそふ水あらば いなんとぞ思ふ |
私はすっかり侘しい気分ですから、浮き草のような身を離れて、誘って下さるなら行こうと思います。 | 文屋康秀が三河国から「田舎見物来ない?」と誘いをかけた時、小町が返した歌。 | 『古今集』 巻18・雑体歌 |
おろかなる 涙ぞ袖に玉はなす 我はせきあへず たぎつせなれば |
心がこもっていない涙が袖の上で玉のような形になるのです。私の涙は堰きとめることはできません。心がこている故に激しく流れる涙だから・・・。 | 安倍清行が小町に逢えないつらさを送った歌への返歌。小町はつれなくいなしていこんなところから小町驕慢説話が出てくるのか? | 『古今集』 巻12・恋歌 |
岩の上に 旅寝をすれば いと寒し 苔の衣を 我に貸さなむ |
旅の途中の岩の上で眠ったらとても寒いので衣を貸して下さいな。 | 石上寺で僧正遍昭と会って交わした歌とされる。遍照は大胆にも「衣を貸すと寒い2人で寝ましょう。」と返している。 | 『後撰集』 羇旅 |
九重の 花の都に住まわせで はかなや我は 三重にかくるゝ |
九重の宮中にある花の都にかつて住んだ私なのに、ついに住みおおせず、はかなくも・三重の里に身を隠して亡くなるのだわ。 | 京都府大宮町の『妙性寺縁起』に伝わる小町辞世の句。 | 『妙性寺縁起』 |
小町の歌、いかがでしたか? 確かに我が身の衰えを嘆く歌は多く、これが昂じて老婆放浪伝説に発展していったのでしょうか?安倍清行らいい寄る男性を軽くあしらう歌もあります。 しかし、文屋康秀や遍昭の誘いの歌には応じていますし、(彼らとは和歌サロンの仲間であったようです。)小野貞樹とは過去に恋愛関係にあったようです。言われているように全くの男嫌いではなかったようですね。そして数々の夢の歌を残していることから、小町の少女のようなロマンチックな一面も垣間見られます。 『古今集』の歌を読むことによって、謎に包まれていた小町像が、少し見えてきたような気がしました。 |