年 号 | できごと | 解 説 |
鎖国と反幕運動
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開国、幕府で開国派と攘夷派が内部対立 | ||
1853年 (嘉永6) 6月3日 |
ペリー来航 | ペリーが率いるアメリカの黒船4隻が浦賀に来航、強く開国を迫ります。 |
1854年 (嘉永7) 3月3日 |
日米和親条約調印 | ペリー再来、幕府は天皇の許しを得ないままアメリカと調印し、開国。 後に英・露・蘭・仏国とも結びますが日本にとっては不利な条約でした。 |
1860年 (万延元) 3月3日 |
桜田門外の変 | 開国政策への反対勢力を弾圧(安政の大獄)する強権政治を行っていた 幕府の大老・井伊直弼が暗殺されます。 |
尊皇攘夷派と公武合体派が対立 | ||
1862年 (文久2) 2月11日 |
皇女・和宮の降嫁 | 朝廷と連携し強化を画策する、幕府と公武合体派の公卿・岩倉具視らが、 孝明天皇の妹・和宮と将軍・家茂を結婚させました。 |
4月23日 |
寺田屋騒動 | 京都伏見の船宿・寺田屋で、薩摩藩の尊攘派の有馬新七らが、 公武合体派の島津久光の命を受けた同藩士に殺害されました。 |
7月27日 |
京都守護職を設置 | 天誅事件で荒れた京都の治安回復のため設置。 会津藩主・松平容保が就任しました。 |
1863年 (文久3) 8月17日 |
天誅組が挙兵 | 土佐浪士の吉村寅太郎が率いる天誅組が、 孝明天皇の大和行幸の先陣として大和国の五條代官所を襲撃。 |
8月18日 |
八月十八日の政変 | 公武合体派の公卿が孝明天皇を動かし御所でクーデターを起こし、 朝廷内の尊攘派公家が一掃された事件です。公武合体派の会津藩 薩摩藩と対立した尊王攘夷派の長州藩は、朝廷内の攘夷派公卿・ 三条実美らと共に御所から締め出され、長州に西下します。 |
1864年 (元治元) 6月5日 |
池田屋事件 | 公武合体派の公卿が孝明天皇を動かし御所でクーデターを起こし、 朝廷内の尊攘派公家が一掃された事件です。公武合体派の会津藩 薩摩藩と対立した尊王攘夷派の長州藩は、朝廷内の攘夷派公卿・ 三条実美らと共に御所から締め出され、長州に西下します。 |
7月19日 |
禁門の変 (蛤御門の変) |
池田屋事件が発端となり、御所の蛤御門などで、 長州藩と会津・薩摩藩ら幕府軍が激戦します。 長州軍は惨敗、政治犯は全て斬首されました。 |
幕府から新政府へ。明治維新の始まり | ||
1866年 (慶応2) 1月22日 |
薩長同盟 | 坂本龍馬の仲介で、敵対する長州藩と薩摩藩が同盟を結びました。 両藩は新政府樹立のため、討幕運動へと向かっていきます。 |
1867年 (慶応3) 10月14日 |
大政奉還 | 二条城にて15代将軍・徳川慶喜が政権を朝廷に返上しました。 |
12月9日 |
王政復古の大号令 | 岩倉具視、大久保利通、西郷隆盛らの働きかけで、 朝廷は天皇を中心とする新政府の樹立を宣言。 将軍、関白、摂政を廃止して新たに総裁、議定、参与が置かれました。 その夜の小御所会議で徳川慶喜には官位辞退と領地返上という 厳しい処分案が決定されました。 |
1868年 (慶応4) 1月3日 |
鳥羽伏見の戦い | 徳川慶喜に対する処分に反発した旧幕府軍が進撃し、 京都の鳥羽・伏見で新政府軍と激突。 錦の御旗を掲げた新政府軍が勝利しました。 |
3月14日 |
五箇条の御誓文 | 明治天皇が紫宸殿にて、明治政府の基本方針を示した条文を、 公布しました。 |
4月11日 |
江戸城の無血開城 |
新政府の東征軍による江戸総攻撃を前に、 東征軍参謀の西郷隆盛と旧幕臣・勝海舟が交渉、 江戸城の無血開城と慶喜の水戸隠退が約束されました。 |
7月17日 |
江戸が東京に。 元号が明治へ |
明治天皇が江戸を東京と改め、 9月には明治と改元して、一世一元制としました。 |
1869年 (明治2) 5月18日 |
戊辰戦争終結 |
鳥羽伏見の戦いの後も旧幕府軍の一部は抵抗を続けていましたが、 ついに函館の五稜郭に立て籠もっていた榎本武揚らが降伏しました。 |
6月17日 (明治4) 7月 |
版籍奉還・廃藩置県 |
明治新政府は木戸孝允(長州藩)や大久保利通(薩摩藩)、 板垣退助(土佐藩)、大隈重信(肥前藩)らと協力して、 藩主を藩知事としました。 明治4年7月には3府302県を配し、新たに県知事が任命されました。 |
1871年 (明治4) |
岩倉使節団 |
外務卿・岩倉具視を全権大使、木戸孝允、大久保利通、伊藤博文、 山口尚芳が副使となって、米欧を視察しました。 |
1873年 (明治6) |
地租改正 |
新政府の財政基盤を確立するために導入された税制。 土地に対して一律に課税し、金納が原則となりました。 |
1877年 (明治10) |
西南戦争 |
秩禄の支給が廃止(秩禄処分)された事に不満を持った士族らが、 帰郷した西郷隆盛を擁して挙兵。 7ヶ月にわたる抗戦の後に西郷軍は包囲され、西郷は自刃しました。 以後の不平士族は、言論による反政府運動を展開することになります。 |
1889年 (明治22) |
大日本帝国憲法発布 |
日本は立憲国家として新たに歩み始めます。 |