楊柳観音像と韋駄天像を祀る曳山。後祭りの山鉾巡行の先頭を行く山で上り観音山と言われる。元は昇山で後に曳山へと改めた。山鉾巡行時には、山の後ろに大きな柳の枝を差している。 重 量 9.27トン(巡行時。人、懸想品含む) 6.95トン(山鉾装飾のみの重量) |
【住所】中京区新町通六角下る六角町 六角会(北観音山保存会)公式ホームページ
【鉾に登るには】関係者以外登れません
◇装飾・踊り
破風の彫刻は天保4年(1833)片岡友輔(かたおかゆうほ)の作で、上水引、下水引は雲龍文及び人物風景の巧緻な刺繍である。
胴掛はトルコ花文の緞通が 用いられ、見送は雙鳳群児文(そうほうぐんこもん)の綴錦であり、欄縁などの
錺金具(かざりかなぐ)の精巧さとけんらんさは一層二の山を華麗なものとしている。
巡行の時には見送の横から観音懺法(かんのんさんぽう)の主旨にちなんで大きな柳の枝をさし出している。
別に慶安3年(1650)在銘の退紅色花菱たすき紋繻珍裂(たいこうしょくはなびしたすきもんしゅちんれつ)は大切に保管されている。
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北観音山が所蔵する、17世紀の「八つ星メダリオン草花文様」のインド絨毯は、欧州の絵画には同様の文様の絨毯が描かれているのに欧州では見つかっておらず、日本には北観音山と函谷鉾、徳川美術館の3枚しか確認されていないという「幻の絨毯」です。
◇由来・歴史
「上り観音山」ともいわれ、後の祭の山鉾巡行の先頭にたつ。山の上には楊柳観音像(ようりゅうかんのんぞう)と
韋駄天立像(いだてんりつぞう)を安置する。もと舁山(かきやま)であったものを後に曳山(ひきやま)に改め、
その名残りとして真木には松の木が立てられている。松の左二の枝に尾長鳥をつけるのも珍しい。
また楊柳観音像には「大佛師法橋定春(だいぶつしほうきょうじょうしゅん)」の墨書銘(ぼくしょめい)がある。