ほぼ等身大の像と言われています。桂小五郎は、龍馬と同じく剣豪としても知られ、江戸三大道場の一つ、神道無念流の「練兵館」に 入門して1年で塾頭となっています。 外様の毛 利家を藩主とする長州藩は、幕末には尊皇攘夷の中心勢力として過激な政策を展開します。薩長同盟後は討幕を果たして、明治維新へと導きました。 e京都ねっと : 龍馬特集「龍馬と共に生きた人々(一覧)」 |
鉄道や車が無かった幕末の時代、船は志士たちの重要な「足」でした。
京都と伏見を結ぶ運河・高瀬舟は今よりも川幅が広く、人や物資の出入りで賑わい、
土佐や長州を始めとする各藩邸が建ち並んでいたのも頷けます。
それゆえに、日本の将来を案じた勢力同志が刃を交え、その若い命を散らした地でもありました。
ほぼ等身大の像と言われています。桂小五郎は、龍馬と同じく剣豪としても知られ、江戸三大道場の一つ、神道無念流の「練兵館」に 入門して1年で塾頭となっています。 外様の毛 利家を藩主とする長州藩は、幕末には尊皇攘夷の中心勢力として過激な政策を展開します。薩長同盟後は討幕を果たして、明治維新へと導きました。 e京都ねっと : 龍馬特集「龍馬と共に生きた人々(一覧)」 |
桂小五郎と花街・三本木の芸妓・幾松(後の 松子夫人)は恋仲となり、長州屋 敷の東のこの辺りに暮らしていたといわれています。討幕運動の中心であった桂は新選組等に何度も命を狙われ、幾松の機転で難を逃れたという逸話も伝わります。 石碑の後ろには料亭旅館「幾松」があります。 お問い合わせ:075-231-1234(料亭旅館幾松) e京都ねっと : 龍馬特集「龍馬と共に生きた人々(一覧)」 関連サイト : 料亭 幾松 |
大村益次郎卿遭難之碑
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長州藩士・大村益次郎 は明治2年に、開国・公武合体論を説いた佐久間象山は元治元 (1864)年に帰宅途中で、二人は ほぼ同じ場所で刺客に襲われ、命を落としています。木屋町通りを少し北へ行くと、「大村益次郎公遺址」の碑があります。 関連サイト : 大村益次郎卿遭難碑 |
大村益次郎卿遭難之碑・
佐久間象 山遭難之碑 |
木屋町 「大村益次郎卿遭難之碑・佐久間象 山遭難之碑」があります。 e京都ねっと : 龍馬特集「龍馬と共に生きた人々(一覧)」 関連サイト : 佐久間象山・大村益次郎遭難碑 |
御池を上がったところにも、
木戸孝允の終の棲家となった建物の一 部が残されており、外観のみ見学できます。ここで病床についていた木戸は明治天皇から異例の見舞いを受けますが、その後、西南戦争や西郷隆盛の事を案じながら45歳で病死しました。息子で地質学者となった木戸忠太郎氏の達磨コレクションを収めた達磨堂が隣接しています。 お問い合わせ : 075-256-1307(職員会館「かもがわ」) 関連サイト : 職員会館「かもがわ」 |
江戸時代の外様の最大の大名・加賀藩前田家は、徳川慶喜を支持していまし たが、鳥羽伏見の戦で幕府軍が敗北し た後は方針を改め、戊辰戦争の際には官軍につきます。一時は京都府知事邸にもなっていました。京都とは文化的な繋がりの多い藩です。 関連サイト : 加賀藩邸跡 |
佐久間象山は、当時の日 本における西洋砲術の第一人者。一橋慶喜の招きで入洛し、東山を望む鴨川畔の寓居は「煙雨楼」と名付けられました。 e京都ねっと : 龍馬特集「龍馬と共に生きた人々(一覧)」 関連サイト : 佐久間象山寓居跡 |
土佐勤王党を結成し、吉田東洋を暗殺して藩論を公武合体派から尊王攘夷へ転換させた武市瑞山は、藩の京都留守居役となって入洛、各藩士と交わります。京都の料亭「丹虎」を拠点としました。 e京都ねっと : 龍馬特集「龍馬と共に生きた人々(一覧)」 関連サイト : 武市瑞山先生寓居跡 |
武市瑞山が結成した土佐勤王党に加盟していた吉村寅太郎は、龍馬よ りも一足早く脱藩、上京しましたが、寺田屋騒動で捕らえられ、土佐で投獄させられます。釈放後は再び入洛して瑞山の寓居の隣に居を構えました。 e京都ねっと : 龍馬特集「龍馬と共に生きた人々(一覧)」 e京都ねっと : 龍馬特集「寺田屋騒動」 関連サイト : 吉村寅太郎寓居址 |
公武合体派の公卿が孝明天皇を動かし御所でクーデターを起こし、 朝廷内の尊攘派公家が一掃された事件です。公武合体派の会津藩 薩摩藩と対立した尊王攘夷派の長州藩は、朝廷内の攘夷派公卿・ 三条実美らと共に御所から締め出され、長州に西下します。 e京都ねっと : 新選組の足跡を訪ねて「黒谷~四条~三条」 関連サイト : 池田屋騒動址 |
龍馬が京都滞在中に拠点とした材木商・酢屋は、海援隊の屯所にもなりま した。1階は木の雑貨を扱うショップ、龍馬をかくまっていた2階は「ギャラリー龍馬」となっています。創業より今日まで酢屋を営む中川家は、毎月龍馬の墓参りをしています。 龍馬の「龍」と「馬」を模した箸置き 龍馬が遭難した11月15日から下旬まで、毎年龍馬追悼展を開催しています。 お問い合わせ : 075-211-7700 e京都ねっと : 坂本龍馬の足跡を訪ねて e京都ねっと : 龍馬特集「龍馬と共に生きた人々(一覧)」 関連サイト : 酢屋 |
安政の大獄を起こし桜田門外の変で暗殺された井伊直弼は、彦根藩の出身です。変後は10万石を削られますが、彦 根藩は廃藩置県まで存続しました。 関連サイト : 坂本龍馬妻お龍寓居跡 |
京都龍馬会会長の赤尾博章さんらが扮す る現代の龍馬とお龍との幕末トークが、なによりオイシイお酒の肴。店内は龍馬関連のグッズや書籍がびっしり!11~17時も「龍馬おりょうの資料館」(入館無料)として営業しています。 お問い合わせ : 075-211-3666 関連サイト : 龍馬と木屋町の日々 |
龍馬や武 市瑞山、岩崎弥太郎、中岡慎太郎らが出身の土佐藩は、幕末期に藩主・山内容堂による公 武合体論を、土 佐勤王党が尊王攘夷へ転じました。八月 十八日の政変以後は尊王攘夷を弾圧しましたが、龍馬らの尽力で薩長同盟が成立、後藤象二郎の進言を入れて大政奉還を建白しました。 関連サイト : 土佐藩邸跡 |
室町初期に鴨川の中州の岬に建てられた祠で、江戸初期には土佐藩邸内に遷され、鎮守社として祭られたもの。龍馬ら志士達もお詣りしたともいわれ、藩邸には参詣者用の通路も設けられていたといいます。 |
脱藩後の中岡慎太郎は、土佐藩御用達の書林・菊屋の鹿野安兵衛宅に身を寄せていたそうです。 e京都ねっと : 坂本龍馬の足跡を訪ねて e京都ねっと : 龍馬特集「龍馬と共に生きた人々(一覧)」 関連サイト : 中岡慎太郎寓居地 |
古高俊太郎邸址に建つ、昭 和7年創業のお店で、京都ならではの白味噌のお味噌汁を。三条大橋や五条大橋を模したテーブルや、畳敷きのトイレがユニークです。 e京都ねっと : 新選組の足跡を訪ねて「黒谷~四条~三条」 |
近江郷士・古高俊太郎は尊皇攘夷派の志士。諸藩御用達の枡屋の養子となり枡屋喜右衛門という名で 志士らの活動を密かに援助していましたが、新選組に捕えられまし た。これが後に池田屋騒動 へと繋がります。 関連サイト : 古高俊太郎邸址 |
慶応3(1867)年11月15日の夜,この地にあったとされる醤油商・近江屋で海援隊長の坂本龍馬(当時33歳)と陸援隊長の中岡慎太郎(当時30歳)が襲撃されました。彼らを襲った刺客については、未だ謎のままとなっています。 e京都ねっと : 坂本龍馬の足跡を訪ねて e京都ねっと : 龍馬特集「今さら聞けない坂本龍馬(学問編)」 関連サイト : 坂本龍馬・中岡慎太郎遭難地 |
寺田屋事 件以降、幕府から命を狙われていた龍馬は、下宿先を酢屋から近江屋の土蔵の2階へと移し、裏の窓から縄梯子を垂らし、稱名寺の墓地へと抜ける逃走ルートを考えていたといいます。 |