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| 庭園鑑賞の豆知識 | 新緑の庭園リスト | 新緑を歩くコース(1) |
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新緑を歩くコース(3) |
庭園リンク集 |
| 新緑を歩くコース(2)−大原&八瀬を歩く編 |
| 鯖街道が通る山間の集落・大原と八瀬 | |
京の北東、「鯖街道」の一つとして知られる若狭街道が通る大原と八瀬は、春は桜、秋は紅葉が美しい、風光明媚な山間の集落です。 |
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| 地名の由来 | |
大原は、平安初期の僧・円仁がこの地を根本道場として魚山大原(たいげん)寺を建立した事から、八瀬は、瀬が多い高野川上流のこの流域の地形から、それぞれの地名がついたといいます。 |
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| 八瀬の黒木売、大原の柴うり | |
大原と八瀬は、かつて薪炭の生産が主な産業で、その炭や薪を頭に乗せて京の町へ行商に行っていたのが「大原女(おはらめ)」でした。 小原女の衣装は、前掛けが二巾半(ふたはばはん)、手甲を付け、正装の時は「きりくずし」の着物に御所染めの帯を締めます。四隅に絹糸の房が付き、古今の名歌や優雅な図案を刺繍した「縫いのてぬぐい」を頭に被ります。 今となっては小原女の姿を見る事はありませんが、 大原観光保勝会(075-744-2148) 大原・八瀬共に宿泊施設があり、八瀬からはケーブルやロープウェイで比叡山へと足を伸ばす事もできます。 新緑の季節の他にも夏は避暑地として、秋は紅葉を求めておでかけするのもおすすめです。 |
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| 八瀬の歩き方 | |
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叡山電鉄「八瀬比叡山口」駅、または京都バス「八瀬駅前」から出発し、駅周りの瑠璃光院や御蔭神社だけのショートコースで観光するという手もありますが、赦免地踊りでお馴染みの秋元神社まで足を伸ばす場合は、上り坂をバス停数駅分も登らなくてはなりません。 時刻表・拝観時間のチェックは必須!
八瀬方面・周辺の公共交通機関は、街中よりも本数が少ないので、利用する交通機関の時刻表をプリントアウトするなり、カメラ付き携帯電話で撮影しておく事をおすすめします。 |
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| 京都駅から八瀬へのアクセス | |
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| 八瀬と言えば? みどころ・観光スポット |
| 八瀬童子 | 八瀬天満宮社・秋元神社 | 赦免地踊り |
| かま風呂「ふるさと」 | 鬼ガ洞 | 左京区役所八瀬出張所 |
| 妙傳寺 | 九頭竜大社 | 真山がけ観音寺 |
| 叡山ケーブル (叡山ロープウェイ) |
瑠璃光院 | 御蔭神社 |
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■八瀬天満宮社・秋元神社と「赦免地踊り」 「赦免地踊り」で知られる秋元神社は、八瀬天満宮社の境内にあります。
それによると、平成16年の8月21日の天皇皇后両陛下の京都行幸の際に、京都御所の前庭で八瀬童子が赦免地踊りを行い、その三日月の光のもとで舞う様子を皇后陛下が歌に詠まれたという事を、皇室家と縁の深い泉湧寺の長老の言葉で記してありました。この歌が、記念碑と共に建てられています。
八瀬に住まう神様と人々が寄り添って生活しているような印象を受けました。 水で手や口を清めますが、そばにあるこの白い布達は、 濡れた手を拭うのに使用して良いのでしょうか??
■秋元神社
この赦免地踊りを含む京都市左京区内の、国や市の無形民俗文化財に指定・登録されている23行事のハイライトを収録したDVD「左京を彩る伝統絵巻」(2006年製作、90分)は、京都市国際交流会館で視聴でき、ひと・まち交流館京都でも視聴や借りる事ができます。 問い合わせ:左京区役所総務課075-771-4235 この秋元神社以外にも、八瀬天満宮の本殿の周りには幾つかの小さなお社が、木陰の中でひっそりと佇んでいます。
「『女の子が一人で境内に入って行くのを見かけたけど、なかなか帰って来いひん』って近所の人に言われて境内を探しに行ったんやけど、姿が見えへんから心配しとったんや。」と。 おそらく先程の小道を歩いていた間の事なのでしょう。 ご心配かけてごめんなさ〜い!!そしてありがとうございます! 八瀬について調べていると話すと、農家のおじさんは 「この辺に住んどるもんは、皆八瀬童子と言うんや。わしも今年の正月の一般参賀に行ってきたもん」と誇らしげに語っておられました。 「この先に区役所の出張所があるし、そこ行ったら何か見せてくれはるわ。」 ニいうことで、もと来た道を進みます。 |
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■八瀬小学校 出張所のすぐそばに小さな小学校があります。 |
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■料理旅館・かま風呂「ふるさと」
八瀬といえば、かま風呂! ♪スキマ情報・かま風呂とは♪ 土石の窯でできた蒸し風呂の一種で、いわば日本古来のサウナのようなもの。 ♪スキマ情報・壬申の乱とは♪ 大化の改新の後に即位した天智天皇の死後、その後継を弟の大海人皇子と天智天皇の子の大友皇子が争った合戦です(672年)。 かま風呂の存在は、16世紀頃には記録に残されており、この八瀬界隈は湯治場として広く知られ、1715年にはかま風呂が16軒を数えたといいます。 |
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■妙傳寺(妙伝寺)(※拝観希望の場合は、要問い合わせ)
八瀬小学校から更に10〜15分程歩いたところにあるお寺です。 残念ながら和尚さんがお勤めで外出中だったので、拝観する事は叶いませんでしたが、このお寺には、後醍醐天皇や、明治・大正の両天皇の棺を載せた輿を担いだ八瀬の住民、武家や貴族等の位牌が祀られているのだそうです。お目にかかりたかった! |
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さて、ここから九頭竜大社までは、車の往来の激しい下り坂をバス停3〜4駅分歩かなくてはならないので、最初に辿り着いた停留所でバス待ちしてもいいでしょう。
・「斎藤実盛甲(かぶと)が淵」 |
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■九頭竜大社
割と新しい印象の神社です。神道系の新興宗教なのでしょうか?
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・「駒飛び石」(こまとびいし) こちらも見逃してしまいましたが、磯の観音前、国道367号線を50メートルほど手前の川の東岸、バイパス道路の真下に、源義朝が馬上のまま飛び越えたという巨岩があるそうです。 |
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■真山がけ観音寺
♪スキマ情報・壬申の乱とは♪ ・平治の乱とは こちらも見逃してしまいましたが、磯の観音前、国道367号線を50メートルほど手前の川の東岸、バイパス道路の真下に、源義朝が馬上のまま飛び越えたという巨岩があるそうです。 平清盛が京を離れ、熊野詣でに出向いている間に、源義朝や藤原信頼らが中心となって起こしたクーデター・平治の乱。 誰も居ない小さなお堂の中に看板が。 |
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叡山ケーブルの看板が見えて来ました! ■叡山ケーブル(叡山ロープウェイ)
※比叡山方面の情報はこちら→「比叡山へ行こう!」 |
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ひたすら道沿いを歩いて来ましたが、ここでぐっと緑豊かになって来ました。
■叡山電鉄「八瀬比叡山口」駅
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長らく下り坂を降りて来たので、ここでちょっと一休み。 ■わらび茶屋
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さて、ここからは後半のヤマ場です!川の東側の道、川下の方へとことこ歩きます。
駅からも近く、八瀬の観光スポットとしてここを外しちゃ勿体ない!!
♪スキマ情報♪ 京都生まれの公卿、政治家。尊皇攘夷派の公家の中心的存在でしたが、1863 年に尊皇攘夷派の京都追放を狙った8月18日の政変により、長州に逃れます。王政復古後、明治4年には最後の太政大臣となり、明治政府の中心人物として、草創期の国家建設に尽力しました。内閣制度が創設されてからは内大臣となり、一時は臨時首相を兼任した事もあるという希な経歴を持った人です。 ここの建築にあたった棟梁は、裏千家出入りの大工であり、京数寄屋造りの名人と言われた中村外二。 奥の仏堂からも、外の景色が見渡せるようになっています。
茶室から眺める「臥龍(がりょう)の庭」。
机の上はペン字で写経ができるようになっていました。
1階へと降り、こちらでも展示されているというかま風呂を拝見。
新設されたものでしょうか?今すぐにでも使えそうな程新しい印象です。 ゆったりとした時間が流れる瑠璃光院。 今度は、秋の紅葉の季節に訪れたいと思いました。
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最後は、新緑の京を代表する風物詩・葵祭ゆかりの地を訪れます。
この神社へは瑠璃光院より更に奥へと進み、病院の横の山道を入って行きますが、山中の人気の無いところにあるので、一人歩きはちょっと心細いかも?隣駅の「三宅八幡」駅を東南側に出て、線路を左手に見ながら住宅地を北へ15〜20分程進むルートもあります。
ここで行われる御蔭祭は、神馬に神霊を遷して本社に迎えるという我が国最古の形式を今に伝えるといいます。 玉依媛命は賀茂建角身命の子で、鴨川の上流から流れ来た丹塗の矢を拾って床に置いたところ、上賀茂神社の祭神である賀茂別雷命を懐妊したという神話が伝えられていることから、縁結び、子育て等の「婦道の守護神」、「水を司どる神」として親しまれています。 さて、この葵祭で上加茂・下鴨の両賀茂社に進む本列を、列奉行、副列奉行や列方として導くのも、八瀬童子会の役目なのです。
小学校6年生になったらお稚児さん、青年になったら何らかの役となって勅使列に奉仕するのが八瀬童子会に昔から受け継がれているしきたりであり、また誇りなのです。 |
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お疲れさまでした! ■八瀬離宮
この地はもとは「森のゆうえんち」「スポーツバレー京都」であった事は京都っ子にもお馴染みですが、それ以前は「新世紀京都博」(昭和39年 3/20〜5/31)なるものがあったそうです。 ラフな服装で散策していたため、エントランスで待ち構える従業員さん達の間を通るのは少々恥ずかしい気もしましたが...。
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首都圏からは遠く、京都の街の中心地からも少し離れた場所でありながら、600年以上もの間、皇室家との交流を持ち、朝廷に関わる行事として葵祭も支え続けている八瀬の童子たち。 |
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